第790話 切に生きる、ということ

文字数 1,187文字

 あの、よくお墓に言葉が刻まれてるでしょう、その人が座右の銘のようにしていた言葉が。
 わたし、死んだら、「切に生きる」って刻んでもらおうかと思ってるんだけど、死んだ人間が「切に生きる」っていうのも、ヘンだわよねぇ。
 で、何がいいのか、何にしようかしら、って、今一生懸命考えてるの。

 そう言って朗らかに笑う瀬戸内寂聴さんをテレビで見ながら、つられて笑ってしまった、だいぶ前。ほんとにこの人は、素敵だと思う。

「切に生きる」=「今を生きる」、「今を、一生懸命、今だけを生きる」と解釈してきた。
 でも、それはどういうことなのか、よく分からなかった。

 だが、ぼくは昨日、仕事が終わった後、右の耳が聞こえにくくなったのだ。「エアー」(空気)を、ホースと先っぽに付いている棒状の器具を通じて出し、エンジンに付着した水を払うのが、ぼくの仕事だ。
 アルミでできているエンジンには、小さな穴があちこちに開いていて、ぼくの操作するエアーがその穴を通る時、キィン、キィン、と甲高い大きな音を発するためだ。

 この「エアー払い」をやっていた、前作業者は、耳栓をしていなかった。上司から、「耳栓をつけろ」と言われてもいない。今まで、みんな、耳がおかしくならなかったのだろうか。
 左耳が何ともなかったのは、ぼくらの職場では「無線」で連絡を取り合っていて、そのイヤホンが左耳に入っていたおかげだと思う。

 ─── さて、ぼくは、このとき、まるで「切に生きていた」ような気がした。音が気になっても、これが今の自分の仕事である、と言い聞かせ、それなりにまじめに働いているつもりなので、耳の異和感を感じながらも、ただ一生懸命、「エアー払い」をし続けたのだ。

 だが、仕事の時間が終わり、次の「今」がやって来る。

 難聴になったら、音楽が聴きにくくなるんだろうな、カラオケで自分の歌声、友達の歌声も聞こえなくなるのかな、と急に不安になった。

「切に生きる」を考える。今までも考えてきたが。

 金銭を湯水のように使った晩などもあった。
 その「切」(ほとんど刹那か)にいる間は、かなり無敵である。だが、酔いもさめ、財布の中にあったはずの万札が1枚もなくなっているのを目の当たりにしたりすると、一気に空虚、微風にさえヨロけそうになった。

「切に生きる」、= 今、ほんとに「今」、この瞬間、文字通りの瞬間を生きること、と解釈しては、たいへんなことになる。
「切」とは、「今日」、こんにち、と考えたほうが、いい。
 今日があって、今日がある以上、昨日や明日もある、ということを考え、それらをひっくるめて、「切」なのだ。そう、切に思った。

「切に生きる」、チャンと、明日のことも考えなければ。その上で、今、こんにちを、せいいっぱい生きる、ということだ。
「今、この瞬間」だけでは、なかったのだ。

 耳栓を、今日は、上司に言って、もらおうと思っている。
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