第350話 つまり、バラバラのままで

文字数 695文字

 さっきの記事の続きになるけれど、つまりバラバラで、いいのではないかと、かんがえる。
 一緒に暮らすということが、家族である場合、特に「共同体」的な意味合いが濃く出されている感があるけれど、実はひとりひとりである。それが基本だとおもう。
 ぼくの育ったかめ家の日曜など、「食」の例をあげれば、ぼくは朝6時頃パンと紅茶をひとりで食べ、次に父が7時頃やはりパンと暖めた牛乳、8時頃に母がパンとコーヒー、11時頃に兄が納豆ご飯とハムを食べてたりした。昼食もバラバラで、夕食だけみんなで食べた。それで別に何の苦もなかった。

 そんな環境のせいもあるかもしれないが、たとえばぼくは夫婦だからといってカミさんが若い男とどこかに旅行に行ったりしても、全然OKなのではないかとおもう。急に話が飛躍しちゃったけど。
 むしろぼくは「家族」「夫婦」という固定観念、これは集合体・共同体という意味で、観念的・幻想的なものでしかないとおもうのだけど、この念想的なものに、とらわれたくないのだ。生きてくなんて、ひとりひとりが基本なんだから、メシは一緒、寝るのも一緒、なんて「夫婦のルール」のようなものをつくりたくない。だから極論すれば浮気もOKなのだ。

 そもそも、せっかくイイ男と出会えたならば、夫がいたって、その男を、自分の気持ちに正直に好きになればいいではないか。もったいない。それで妻君が生き生きして、元気に掃除や洗濯や美味しい料理を張り切ってやっちゃったりしたら、夫君もエネルギーをもらえるのではなかろうか。
 微笑をもって、自分以外の異性に恋心を抱く妻君を、見守り続けることができる男でありたい。

 すみませんでした。
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