入れ子 6

文字数 1,308文字

 鳰の舌を得た後、俺はどうやって施療院まで辿り着いたものか。
 伯労と共に己の魂も半分消し飛ばしたのではないかという思いであった。

 施療院の門口で茫然と立ち尽くしているのを、鳰に発見されて手を引かれ、ようやく現実に戻って来たような有様だった。戦で戦友を失っても此処まで虚ろな様に陥ったことは無い。

(白雀殿、ご無事でお戻りになられたと思いましたのに、その様は一体いかがなさったのですか? あの、恐ろし気な男に酷い目に逢わされたのでございましょうか。波武とともに先に帰されてから如何様なことがあったのかと、それはそれは心配して()ったのでございます。時に、雎鳩様は……)

 鳰から雎鳩の名を聞いた途端、俺の目から唐突に涙がこぼれ落ちた。
「あ……」
 慌てて袖で拭ったが、それが間に合わぬ程、それこそ堰を切ったかのように流れ落ちる。さしもの鳰も、此れには絶句して目を見開いている。

 駄目だ! 止まれ!
 鳰には伯労のことは言えぬのだ!
 己の為に消えたモノがいるなど、鳰に知られてはならぬ!

 そう思えば思うほど、裏腹に涙は止まらなかった。

(……)
 鳰は、黙って両手を差し上げた。俺の頭を抱くと、しっかりと自分の肩に押し付ける。
 ああ、そうだったな。
 俺が、家から捨てられ、思うようにならぬ我が身に情けない思いで泣いた時も、鳰は俺の思いを受け止めてくれたのだった。俺は鳰の肩口に顔をうずめ、覆いかぶさるように小さな肩を抱くと声を押し殺して、ただ感情の波に耐えた。

 様子を見に来た鸞が、俺の無様な姿を見るなり口を引き結んで眉を八の字にして悲しげな顔をした。後から顔を出した波武も、小さく鳴いて鼻面を押し付けた。

 何度目かの深呼吸を繰り返し、何とか己の制御を取り戻したあと、俺はやっと顔を上げて鸞の手に鳰の舌を押し付けた。鸞は何も言わず、それを受け取って頷いた。
 俺は、鳰に、もう大丈夫だと言うと、鸞と一緒に梟のところへ行くように促した。

(本当に、大丈夫ですか? もしかすると、雎鳩様と喧嘩でもなさったのですか?)

 引っ込みかけた俺の涙が、またぽろりとこぼれた。
 喧嘩か……、そんな他愛のないことなら、どんなに良かったか。
 いや、鳰よ、俺が雎鳩と喧嘩したくらいで、こんなに感情を乱すとでも思っておったのか?
 的を大幅に外した鳰の勘違いが変なツボに入って、今度はクツクツと笑いが止まらなくなった。口元を押さえてしゃがみこみ、涙をぽろぽろ流しながら笑っている俺に、鳰はドン引きして固まっている。

(白雀殿……?)
「鳰、こやつは放っておけ。己で大丈夫と言うからには大丈夫なのだ」
(でも……)
 躊躇う鳰の手を引いて、鸞は施療院の奥へと引っ込んだ。

 2人の姿が見えなくなってから、波武が俺の顔をペロリと舐めた。
「伯労を召したのだな。その心中、察して余りある」
 俺は口元を覆ったまま、ただ頷いた。
「伯労も……よき男に召してもろうたものよ。きっと、幸せであったと思うぞ」
「……波武の………大莫迦!」 
「む? なんと?」
「やっと………止まってきたと思うたのに。クッソ……」 
 俺は波武のモフモフの首っ玉に嚙り付いて、再びあふれだした涙の責任を取ってもらった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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