禁色の糸 9

文字数 1,024文字

 上から再び蔓のようなものが降ってきた。松明をかざすと嫌がってスルスルと戻っていく。なかなかに面倒くさいなぁ、これは。蔓の相手をしながら、足元にいる男に声を掛ける。
「おい、お主は、慈鳥殿を連れて逃げろ。後は、何とでもする」
「でも、……」
「俺らはとりあえず、吸血虫を退治しておく。神樹は、明日仕切りなおせばよい」
「いや、だって……その……」
 鸞は、なかなか行動を起こせない男の襟首をむんずと掴み、がくがくと揺すった。
「『でも』も、『だって』もあるか! 主らがここに居ると邪魔臭い! さっさと去ねや! 羽虫に集中したいのだ!」
年端もゆかぬ子どもに喝を入れられて、ようやく男はコクコクと頷いた。俺は松明をバタバタ振り回している慈鳥の首根っこを掴んで引きずってきて男に託した。
 何やら喚き散らしている慈鳥の声が小さくなった。
「ふう……。これで心置き無くぶっ飛ばせるわ!」
 鸞は頸を左右に傾けると指を鳴らした。
「なぁ……鸞」
「ん? なんだ?」
「俺も臭うか?」
「はぁ?」
 鸞は、キョトンとした顔で俺を見上げた。
「何故か……俺も羽衣に避けられてるような気がする」
「その、腋臭(わきが)かどうかということか? 主はせぬよ! 虫が寄らんのは、丹の所為ではないか?」
 丹の何が効いて害虫が来ないのだ? 虫よけ効果? そんなものがあるのか? よく解らぬが、黒い虫の群れは潮が引くように木の上へ戻っていった。
 さて、これで親玉を呼びに行ったかな、と葉陰を見上げる。
「わあ! これは気の毒な有様だな!」
 鸞の声に、視線を移した。地べたに転がっていた男に集っていた黒い羽虫が飛び去ると、真っ黒な木偶のような亡骸が残されていた。ふらりと浮かんだ魂を引っ掴んで懐に収めた鸞は、亡骸の表面を擦った。
「なんぞ? この真っ黒な蝋のようなもの……」
「ああ、それは、この虫の鱗粉と……糞よ」
「あらー……」
 鸞は黒くなった指先を見て、不機嫌に下唇を突き出した。どこかに(なす)り付けようと辺りを見回し、いいもの見つけたとばかりに、神樹の幹にゴシゴシと指先を(なす)る。ついで、頭上にズルンと音を立てて蔓が下がってきたのを掴んで引きちぎった。
「つくづくと芸がないのう! 主、来るぞ!」
 葉陰からガサガサと音を立て、大人が腕を広げたのと同じくらいの翅をもつ大きな下紅羽衣(したべにはごろも)の親玉が舞い降りてきた。鮮紅色の下羽を広げ、太刀ほどもある口吻を振りかざす。
「ったく……こんなデカブツがどこに隠れていたモノやら」
「ほんにのぅ」
 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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