汲めども尽きぬ 4

文字数 1,218文字

 んー。
 左腕が熱い気がするのは、身体が暖まった所為なのか……それとも。
 腕組みして湯船に浸かっていると、上から鸞の声が降ってきてギョッとした。
()なー! そろそろ仕上がったぞー!」
 慌てて上を見上げる。石組の向こう側にある女湯は、どうやら男湯より少し上に設えてあるらしい。
「聞こえておるかー? ()なー!」 
 他の湯治客がキョロキョロと辺りを見回している。
 なんてことだ。俺が返事をするまで呼ばわる気か?
 一瞬躊躇したが、このまま呼ばわれ続けていたら更にやりにくくなる。
「相分かった! 俺も上がるぞ!」
 一斉に俺に視線が集まった。別の意味で顔が赤くなる。
「兄さん、色男だと思ったら嫁さん連れかい。いいねぇ」
 商人に冷やかされた。
 こういう時はどういう顔をすればいいんだ。
 俺は苦笑いで返した。

 湯から上がり暖簾を分けると、ぽっぽと湯気を上げて桜色になった鸞が、ニコニコとして待っていた。
「いい湯だったなぁ。ここに居る間は毎日来たいものよ」
「……それは分かったが、余り恥ずかしい真似は」
 俺が口を尖らせて抗議すると、鸞はこれは意外とばかりにおどけてみせた。
「ほう。朴念仁も照れるのか」
「柄にもなく一斉に注目を集めたわ」
 俺は肩をすくめた。鸞は楽しそうに笑うと、また、俺の右腕に絡んだ。右の耳に唇を寄せ、琴弾様とやらのこと、少し仕入れたぞ、と呟く。
「それもそうだが……ここらに

はおらぬか?」
「ああ、やはり主もか」
 鸞にも遠仁の気配はするらしい。
 鸞は周辺に目配せすると、俺の顔を覗き込んだ。
「続きは宿屋で、な」
 ああ、まぁ、確かにこれでは一見、夫婦であるな。

 夕餉の膳を下げてから、衝立の向こうを覗いたら、布団が一組敷いてあるのみだった。俺がげんなりした顔でいるのを見て、鸞が面白そうに笑う。主人にもう一組用意してもらうように言おうと腰を上げたら、鸞が襟首をつかんで引き倒した。
「時間が勿体ないよ。妾はこのままで苦しゅうないぞ」
「俺が苦しいんだよ」
「何を変に意識しているのやら? こちらはちっとも気にせぬよ」
 結局、鸞に押し切られる形で、2人で同じ布団に潜り込んだ。
「女湯で聞いたのだがな、琴弾様と言うのは

と共に数年前こちらの町へきたそうな。男の(こしら)えた人形(ひんな)らしいよ。まぁ、要するに使役するための

だな。それが、誠によく働くらしい。連れてきた男は、ある日ぽっくりと亡くなったため、琴弾様は新しい主を探して転々としながら依頼を聞き続けているのだそうな」
「それで、今、両替屋にいる……と、そういうわけなのか。俺が聞いた商人の話では、その琴弾様が鉱山を探り当てたおかげで、この町は(みつぎ)を納めずとも良くなったらしいぞ」
「ほーん。誰かが琴弾様に『鉱山を見つけて欲しい』と依頼したのかな」
「……で、鳰の肉は?」
 鸞が此処にあるというから来たのだが。
「ああ、ずっと反応しておるよ。出何処(でどこ)は明日探すとしよう」
 鸞はそう言って俺に背を向けた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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