モノノネ 4

文字数 1,095文字

 夜分。
 いつもなら包帯で隠している左腕だが、ここに居る時は誰に気兼ねすることもない。久しぶりに解放感に浸って、湯上りに腰布一つで足の爪にヤスリを当てていると、自室の扉をたたく者がいる。あれ? 鸞か? と思うて、おう! と返事をすると入ってきたのは鳰だった。
「あ……?」
 そうか、鳰ということもあるのだな。と納得しかけてから、バタバタと慌てて手の届くところにあった夜具を引っ被った。
 鳰は、琵琶を抱えて突っ立っている。
 ああ、そうだ! と枕辺に置いていた念波装置を耳にねじ込む。
「ど、どうしたのだ?」
 手が離れた所為でずり下がった夜具を慌てて引き上げた。
(急にジタバタして……どうしたのですか?)
「えと、……その」
(今更、白雀殿の肌を見てもどうこういたしませぬよ)
 いや、それはそうなのだがな。俺は落ち着きなく身じろぎした。万が一、鳰が女子ということもある。
(楽になさってくださいませ。阿比殿から習った琵琶のおさらいをいたします故、是非聞いていただこうと思いまして)
「時に、耳は?」
(今は自前でございますよ。ずっとは疲れてしまうので、時々、梟殿に調整していただいて、以前のカラクリの感覚器に切り替えていただいています。最近は、そちらに違和感を覚えるようになってきたので、もう少しで完全に自前で行けるかと思います)
「そうか……」
 鳰は俺の前に座って琵琶を構えた。
(白雀殿のお声、思った通り優しい響きでございました) 
 昼間のことを思い出して思わず顔の温度が上がる。
「済まぬ。いきなり悪態を聞かせてしまった」
(いえいえ。朗らかで楽しそうで、私も久しぶりにあんなに笑いました)
 
 嫋
 
 撥が絃を弾き、空気がふわりと柔らかくなった。
 続いて、どこか物悲しい、透明感のある旋律が溢れた。
 鳰の白い指が絃の上を躍り、撥が翻る。
 ほう、とため息が漏れた。
 阿比が筋が良いと褒めるだけのことはある。しばし、時を忘れて琵琶の音に聞き惚れていると、また、扉を叩く音がする。
 顔を覗かせたのは、今度こそ鸞であった。奏している鳰の背をニコニコと見ながら部屋に入ってくる。湯から上がってきたのだ。そのまま俺の隣につくねんと座り、夜具をグルグル巻きに纏っている俺を怪訝そうに見上げた。
「何をしておるのだ?」
 鳰の演奏が終わってから、鸞は口を開いた。
 心底呆れたという顔をしている。
「んー、その……な」
 夜具の隙間から手を出して鼻の頭を掻く。鸞の目がスッと細くなった。
「あー、主、いつもの調子で裸でおったな!」
「は、裸ではないわ!」
 膝立ちになった拍子に、腰に巻いていた布が足元に落ちた。
 ますます夜具が放せなくなった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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