麦踏 3

文字数 1,009文字

「耳……か」
 施療院に戻ってきた。
 鳰に正月準備の餅や軒飾りを渡し、 阿比に琵琶の調弦を任せ、梟に持ち帰った鳰の肉を披露しているところだった。
 落ち着かな気に波武が周囲をウロウロしていた。時々俺の懐に鼻先を突っ込むようにするのは、合口が……(うかり)の存在が気になっているのだろう。
 後で説明してやらねば。

「今回の肉には繋がりが無く、そうそう戻すのは難儀だと思うているが……そんなに耳が厄介なのか?」
 俺は、小さな耳介とそれに連なる豆のような蝸牛を見た。
 梟は更に唸った。
「主が……儂の声を聞き取れるのは、ここら中に溢れておる沢山の音の中から拾うべき音を認識できておるからだ」
「ん? 沢山の音?」
 
 窓の外から聞こえる風の音。
 鳥のさえずり。
 壁越しに聞こえる軒先に飾りを付ける鳰と鸞のおしゃべり。
 藁細工の飾りの立てるシャラシャラという音。
 遠く断片的に聞こえる、阿比が調弦する琵琶の()
 波武が床を捕らえるチャッチャッという爪の音と鼻息。

「ただ聴覚を取り戻しただけでは、それらすべてが同じ情報として脳に届く。雑音の中に放り込まれるのと同じだ。その中から必要な音を拾うことを訓練せねばならない。それと、この蝸牛だが、躰のバランスを整えるための機能を有している機関だ。脳でバランスを取っている部分との連携をさせねばならない」
「ふむ。耳というのは思った以上に繊細な機構であるのだな」
「これから、琵琶を習うというのであれば、早々に戻してやりたいところなのであるがな。慣れるまでには時間がかかるであろう。あと……この瓶の中身であるがな」
「ああ。玻璃製で封をしてあるから中身を確認できなかったが、どうやら中身は『血』であるらしい」
「そうか……。腑の組織の一部と照合して、鳰のモノであるかどうか鑑定できるが……」
 梟は、思わせぶりな視線をこちらに向けた。
「そうすると、鳰の……その…………」
「ん? なんだ?」

「……性別が知れる」

「…………なるほど」
 言われて頭が真っ白になった。
 気にしたことは無かったとはいえ、分かったら分かったで距離感が狂う。
 いや、いずれは分かることではあるのだろうが、まだ覚悟が出来ぬ。
「その……分かってもまだ……」
「そうか。了解した」
 そう言って、梟は苦笑した。
「なんだ?」
「主、父親になった時最後まで腹の子の性別を知りたくないクチだな」
「そんなに早く知って……どうするのだ?」
 やはりな、と梟は肩を揺らした。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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