ましらの神 10

文字数 906文字

 喉がつぶれるミシリと言う音が脳天に響いた。
 カッ……は……っ。
 声にならぬ声をあげ、息が詰まる。
 (あく)の主がそのまま俺の喉笛を噛み千切ろうと、頸を振る気配がしたので、そうはさせまいと俺は頭を掴んだ。
 何故だか、痛いとか苦しいとか怖いとか……そんな感情は起こらなかった。
 一時(いっとき)、音が無くなり、脳裏に光の網目が閃いた。
 次の瞬間、俺の喉から遠仁を喰らうときのような丹い炎が上がり、身体が一気に熱を帯びた。
 渥の主が驚き、口を離す。

「げふっ……。けほっ……」
 俺は喉を押さえて蹲り、咳込んだ。
「大丈夫か?」
 渡りの下から、俺を案ずる鸞の声がする。
「あー、驚いた。死ぬかと思うた」
 首に触れる己の指先のぬめる感触、血のにおいは確かに傷を負っている(てい)だが……。あれ? 傷は、どこだ? 
「其の方……」
 頭上で、渥の主の息をのむ気配。
 そして、瞬く間に俺らを取り囲む猿の群れ。
 
 そうだ! 猿だ! 
 ああ! 次から次へと頭の処理が追いつかぬ! 

 猿たちは口々に、ギャッギャと騒ぐと、渥の主に凄み飛び掛からんばかりに威嚇し始めた。さしもの渥の主も、どうしたものやらと視線を彷徨わせている。
 蹲っている俺の元に、一匹の猿が寄ってきた。労わるように俺の腕をさする右掌を見て、梅の花のような黒い痣に気が付いた。
「ああ、御前か。俺を案じて仲間を呼んだのだな」
 有難い、と感謝を述べる。

「こら! 渥の主よ! 乃公(おれ)との諍いに破れ、大人しゅうしておるかと思えば、かようなところで悪さを働いておったのか!」
 突然、腹の底に響くような聲が辺りに轟いた。
 騒いでいた猿たちが、一瞬で静まる。
 俺は声の主を探して辺りを見回した。
 渥の主が、再び臨戦態勢となる。
 
 これは、この声は……。
 
 塀の上から、ふわりと雪の上に降り立った大きな

は、神々しい白銀の毛皮を纏っていた。緋色の(おもて)に光る瞳は闇夜に炯々として只ならぬ威厳と貫禄を漂わせている。
神猿(まさる)殿……であるか」
 俺は目を瞬いた。
「ここは、……引導を渡さねばならぬようだな」
 神猿の言葉に、渥の主は低い唸りを上げて応えた。
 神と妖の諍いの第二幕とな。
 ああ、もう、どいつもこいつも気が立っておる。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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