瑞兆 7

文字数 829文字

 曲が調子の速い「急」になり、舞手が舞台を降り始めている。
「丁度、終わったなぁ。そろそろ頃合いを見て(うかり)が迎えに来る頃よ」
 鸞が呟く。
 やがて、観客席がザワザワとしだした。幾人かが空を指して口々に騒いでいる。朱雀も訝るように視線を空に向けて、ハッとした顔をした後、波武に向かって走ってきた。

「波武! あれは……あれは何だ?」

 澄んだ笙の()のごとき典雅な鳴き声を交わし合いながら、見たことのない紅い鳥が空中に現れた。キラキラと光を返す紅い躰に五彩の長い尾羽が付き、飾り羽を戴いた九つの(おおとり)の頭が並んでいる。
「あれはのう、九鳳(くほう)と言うてな、瑞鳥よ」
 鸞が笑みを浮かべて朱雀に答えた。
 朱雀は波武の隣にいた見知らぬ女子にキョトンとした顔をして固まった。

「さても、鸞。迎えが来たな。帰るか」

 楽屋の方から白雀が出てきた。朱の袴に白い上着。舞衣装の内着で、髪は被り物に納めるために耳より上だけを(たぶさ)にくくり、襟足は垂れ髪にしてある。左耳に真珠の(みみだま)が揺れた。
 朱雀は、あっ、と声を上げた。
「お帰りになってしまわれるのですか?」
「いや、その内また来る約束をさせられた。言い足りないことがまだあるようでな」
 白雀は渋い顔をして振り返る。視線の先には、むくれ顔の鷦鷯がいた。そんな幼い表情をする母など初めて見た朱雀は、何度も目をパチパチと瞬いた。

「ではな、波武」
 白雀は片手を上げて波武に挨拶すると、待ち受けていた鸞の傍に立った。互いに笑みをかわして睦みあう2人の姿は、一瞬にしてかき消える。天を舞っていた九鳳はひときわ声高く優雅な調べを鳴きかわし、遙かへ飛び去っていった。

「今のは……、え? 誰? 何処へ行かれたのか?」
 キョトキョトと辺りを見回す朱雀の肩に手を置いて、波武は呟くように静かに語った。
「女子は鸞。久生に御座います。今一人の御方様は、神の穢れすら(そそ)がれる、吾ら御魂を扱う者の上位殿。朱雀殿がお住いの御屋敷地下に祭壇が御座りましょう? そこに祀る玻璃の夜光杯の主ですよ」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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