釣瓶 10

文字数 963文字

 戸板を揺する音はおさまっていた。
 吹雪はやんだのかと、心張り棒を外して2人掛かりで戸板を引くと眩しいほどの陽光が射した。一面の新雪に反射した光が目を(くら)ませたのだ。
 ようよう目が慣れたところで、屋の内を振り返って仰天した。
「何と言うことだ! よくもまぁこんな破家(はおく)で一晩過ごせたものよ!」
「誠にな……」

 ところどころ板の抜け落ちた板の間に上がり、足元を確かめながら囲炉裏の傍に近付くと、ボロボロの布に包まれた古い髑髏(しゃれこうべ)が落ちていた。煤けた衝立の向こう側に俺らの荷物が寄せてある。水屋のあたりは大きく壁が抜けており、裏が見通せるようになっていた。
 雀鷂(つみ)と共に、ここら一帯の時も過去から現在まで一気に早送りされた様だ。いや、昨夜の出来事は皆、雀鷂が作り出した異界の出来事だったのかもしれぬ。

「そう言えば……釣瓶がどうのと言っていたが」
「井戸に行ってみるか」
 雪を踏み分けて裏手に回る。
 東屋の在ったあたりは一面雪に覆われていた。
 確か、ここらと思ったが……というところをかき分けると、灌木の間に釣瓶を吊るす横木が見えた。井戸もすっかり荒れ果てていた。東屋の屋根がさっぱりと抜けている。石の井筒の上に渡した木蓋を外して井戸の中を覗いてみた。中は真っ暗で何も見えぬ。
「案外と深そうな……」
 周囲を見渡して適当な石を拾うと、中に落としてみた。
 カラカラという音の後にピシリとヒビの入ったような音がした。氷が張っているのか?

 俺は鸞に目配せした。
 此処から出てくるものは、なんとなく解っている。それでも見ておくか? という確認だ。
 雀鷂がわざわざ教えたのだ。
 自らがここに居た証として……。

 俺は掌にハァッと息を吹きかけると、腕に力を込めて釣瓶の綱を引いた。井戸の遥か底でみしりと手応えがあった。
 やっとの思いで引き上げたのは蓋付きの桶だった。蓋回りは凍り付いている。崩れた井筒の石で、凍り付いた蓋を叩きつけるようにして壊した。
 引きはがした蓋の下、歪んだ氷の面を透かして白い塊が映る。
 ……ああ、やっぱりな。
「氷漬けの……人皮。そんなことだろうと、思ったが」
(なめ)して保存しておったのか。アヤツはこれを縫い合わせて纏っておったのだな」
 どちらともなく白い溜息をついた。
 遠仁は――魂は既に弔った。
 後は、雪解けとともに尸忌に召していただこう。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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