借り 9

文字数 1,209文字

 視界の端、右手の桟敷でちょっとした騒ぎが起こっているのに気付いた。
 ふと動いた蓮角の視線が釘付けになったのを見て、俺も視線を巡らせる。
 一斉に出口へと流れる人波に逆らって、こちらへ手を伸ばす者があった。
 鳰だ。
 言葉にならない声を上げて、雎鳩に取り押さえられている。
 必死の表情でこちらに何か言わんとしているが、鳰には舌が無い。
 それを見た蓮角が顔色を失っていた。

「入江か……?」

 雎鳩が振り向いて蓮角を睨んだ。
「何をスッ惚けたことを言ってるの? この子はあんたが捨てた子よ!」
「お主、何を……アイツは遠仁に喰われて……」
 蓮角の目が俺に移った。
「そうか、だから父上は貴様を追うなと……」
「はっ! つまりは、鵠殿は、蓮角殿が俺から丹をえぐり出すより、俺が集めた肉で贄を完全にして奉ずる方が確実だと思うたのだな!」
 俺が(わら)ってやると、蓮角の血走った目がギロリと射た。

「蓮角殿より、俺の仕事の方が信用できると! 鵠殿はそう思われたのよ! だから、お主は贄の肉を掴まされたのだ!」 
「世迷言を申すな! 跡継ぎの俺を差し置いて、父上が、

捨て駒の先鋒ごときに期待をするなど、あるわけがない!」

 蓮角は髪を乱し、口角泡を飛ばして狂ったように怒鳴り散らすと、舞台の上に躍り上がった。見物客は皆散り散りに逃げ去り、天覧の桟敷には数人の臣どもがいて、腰を抜かしたまま成り行きを見守っている。桟敷にいるのは、鳰と雎鳩、波武、鸞のみとなっていた。

 俺は懐から鴻を引き抜いた。明らかに間合いの短い合口を見て、蓮角は鼻で笑って太刀を構える。
「大人しくしておれば、苦しまずに済むモノを……」
 舞台の周囲から青い光の玉が次々と浮かび上がる。
 一筋縄では行かぬとは思ったが……これは。

「波武! 鳰を連れて逃げろ! 喰われる!」
「解っておる!」
 波武は暴れて嫌がる鳰の襟首を咥えて背中に放り投げた。ここに居ると、足手まといだから! と雎鳩も口添えして鳰を(なだ)めて送り出す。
 蓮角の手が翻り、青い光の玉が一斉に鳰らに襲い掛かる。

 させるか!

 俺が左掌を向けた。
 丹い光が吸い込み始めた時に、蓮角の太刀が降ってくる。
「それは卑怯であるな!」
 鸞が蓮角の太刀を弾いた。遠仁を吸い込み終えた俺は、多々良を踏んだ蓮角に(うかり)を向ける。太刀を構え直した蓮角が、じりじりと間合いを図った。
「……ふっ。捨てたわけでは無い」
 蓮角は口端を歪めて言った。
「その証拠に、アレはアレで役に立った」 
「贄になったのが、役に立ったというのか? 血の通った者の言うこととは思えぬ」
「そもそも、俺には

だ」
「俺には、

だがな!」
 隙をついて鴻で薙ぎ払った。
 届かないと見た間合いで刃が風を切り、蓮角が舌打ちをして身を翻した。
「何か仕込んでいるな」
「縁切りの神に宿っていただいた」
「ほう。

では無いということだな」
 唇を舐めて笑むと、蓮角は刃を閃かせて挑んできた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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