釣瓶 1

文字数 1,144文字

 一つ、疑問が残ってしまった。

 目覚めた都は、また一段と忘我の度合いが深まってしまい、真面(まとも)に会話が成立しなくなってしまった。結局、入江の相手、鳰の父親であった「類稀なる舞手」というのが誰なのか分からなくなってしまったのだ。
 鳰が生まれる前、というと、俺が隊の予備練に居た頃で、まだ鷹鸇にも出会う前の話になる。かように昔の話となると流石にわからぬ。直接の師匠故の身贔屓とも言えるが、俺としては鷹鸇以上の舞手というと、なかなか思いつかない。且つては居たのだろうか? とすれば、誰だったのであろう。

 雎鳩に聞けば良いか。どうせ、いずれ城下に戻るのだ。

企鵝(きが)が着いたぞ!」
 屋代の者に呼ばれ、俺は腰を上げた。
 1週間なんて、あっと言う間だったな。

 屋代の入り口まで出ると、もう、鸞が企鵝の傍にまとわりつきながら荷下ろしを手伝っていた。企鵝は俺の顔を見ると、ニコリと笑って右手を上げて挨拶した。
「久しいな。親父殿の加減はどうか?」
「おう! お気遣い痛み入る。大分調子はいいようだぞ。今回は、主らを拾って帰るので私だけ来たんだ」
 そう言って片目をバッチンと瞑った。
 企鵝の愛嬌にも慣れた。俺は苦笑を返した。
「それは申し訳ないことをしたな。ここに来るのは寂しかっただろう?」
「そうよー。独りは寂しくてなぁー、昨夜は馬を抱えて寝たわー」
 企鵝は大袈裟に自分の肩を抱いて見せてから、ゲラゲラと大笑いした。

「白雀の首尾はどうだ? 上々と言ったところか?」
「うん。半分、……かな」
「でもまぁ、

都様相手に、なら、いい方ではないか」
 企鵝は青菜を積んだ木箱を持ち上げて、屋代の厨房係に渡した。チョロチョロ走り回って、積み荷を引っ張っている鸞を見て目を細める。
「あれは、弟なのか?」
「あ? ああ……」
「……歳の離れた兄弟は、可愛いよなぁ」
「企鵝殿……?」
 企鵝は一瞬俯くと、キッパリと顔を上げた。
「湿っぽくなってしまうがな、……私にも弟がいたんだ。もう、何年前になるか……冬に、肺病ををこじらせてな……」
「それは……気の毒に」
「……都様に、……爪を取られそうになった」
「………」
 俺は、ハッと企鵝の横顔を見た。
 企鵝の目は、屋代の拝殿の方をとらえていた。
「亡骸を損なわず全き姿のまま弔ってやらねば、弟は遠仁になってしまう。……それは、必死だったさ。いくら遠仁になっても影向(ようごう)様は召してくださる。それを知っていても、気分の良いものではないよ」 
 都の存在は、土地の者にとっては迷惑以外の何者でもなかったのだ。
「大丈夫だ。都様には、代わりのものを受け取っていただいた。もう、他所の子の爪を欲しがることは無い」
 俺は、奥歯をグッと噛みしめて目を閉じた。
 
 今はただ、桜貝の花簪を胸に抱いて、繰り返し子守歌を口ずさむ媼……
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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