射干玉 9
文字数 1,403文字
宿屋の主 は、ハッと自分の頭に手を置いた。
角頭巾を外すと、久方ぶりに頭がすっきりとしていた。
「よかった……消えた」
いつぞや、用があって切通の道を通った時、通り雨に降られて洞に身を寄せたことがあった。降り止まぬ雨を見上げていると、頭上に何かが落ちてきた。ヌルリ、ペッチャリとした気味の悪いモノであったが払い落せぬ。帰宅して鏡を見たら、何やら黒いモノであった。不思議に髷を結ったような形で、吾の頭に貼り付いている。親の因果か若いうちから早々に頭頂部が寂しくなった身としては、覚えずカツラが手に入ったようで変に気持ちが高揚した。
ところが喜んだのもつかの間、晴れて空気が乾燥してくると、ツヤツヤとしていたカツラは段々みすぼらしく縮んできた。気味が悪く思っても、頭に貼り付いたソレは引っ張っても取れない。端からぺりぺり剥がして切り取っても気が付くとまた生えてくる。不可解なものが頭に寄生したものだと町医者に行ったがよく解らぬらしい。乾くと見栄えが悪いので角頭巾で隠すことにした。
旧知の知り合いに見せると、
「お主、それはイシクラゲという草であるよ」
と言われた。どうにも水はけの悪いところで増える陸性の藻のようなものらしい。好天では乾燥してパリパリになるが、水を吸うとプルプルと艶を取り戻す。解ったところでいつも頭をビショビショに濡らしておっては仕事にならぬ。大層厄介なものが貼り付いたものよと嘆いた。
モノがイシクラゲと聞いて、
「塩を摺り込むとよいぞ」
「酢が効くと聞いたが」
「根気よく毟ることじゃ」
と様々な助言が集まったがどれもうまくいかなかった。終いには
「熱湯を掛けよ」
などと言いだす者までいて、アホを言うな、火傷するではないか! と憤った。
気味が悪いと言うので縁談も逃した。仔細を知らぬ旅人なれば隠しておけば言及せぬので商売に目立って差し障りは生じなかったが、横の縁は次第に薄くなった。
髪の美しい者を見ると、次第に妬ましくなった。吾は苦しい思いをしているのに、髪の整ったものはこんな苦労を知らずに生きていると思った。姿の良い客を妬ましく思っていると、その客が次の宿へ行く前に何やら賊に襲われたと聞いて留飲が下がった。吾の頭を見て笑ったものが、同じく髪のことで悩む羽目になると、よい気味じゃとほくそ笑んだ。
そうしているうち、次第に孤独になった。
久方ぶりに鏡に頭を映した。頭頂部は見事に毛がなく耳の上あたりからぐるりと毛が生えている程度。
いっそ、潔く全部を剃るかと思い至った。
「おや、ご主人、なかなかと美しい頭の形を成されておる」
店頭を掃除していると、宿屋を吟味していたらしい旅人の一行に声を掛けられた。
「髪型はいかようにも誤魔化せるが、頭の形というものはなかなかどうしようもないものだ。かような形になるようにさぞかし行き届いた世話をされてお育ちになったものであろう」
「左様なご主人であれば、きっと良い宿屋であろうと期待できるな。今宵はこちらに寄せていただこう」
「は! いらっしゃいませ」
深々と頭を下げた。吾の頭の形が良い看板になったらしい。
顔を上げて、屋号の額を見る。静かな夜と良き夢に掛けて屋号を「射干玉 」としたことを皮肉に思っていたが、腐ることは無かったのかもしれず。
「お客人、今宵、竹葉 はいかがなされますか? 美味しい鹿肉も仕入れておりますが」
宿屋の主は暖簾を分けて内に入った。
角頭巾を外すと、久方ぶりに頭がすっきりとしていた。
「よかった……消えた」
いつぞや、用があって切通の道を通った時、通り雨に降られて洞に身を寄せたことがあった。降り止まぬ雨を見上げていると、頭上に何かが落ちてきた。ヌルリ、ペッチャリとした気味の悪いモノであったが払い落せぬ。帰宅して鏡を見たら、何やら黒いモノであった。不思議に髷を結ったような形で、吾の頭に貼り付いている。親の因果か若いうちから早々に頭頂部が寂しくなった身としては、覚えずカツラが手に入ったようで変に気持ちが高揚した。
ところが喜んだのもつかの間、晴れて空気が乾燥してくると、ツヤツヤとしていたカツラは段々みすぼらしく縮んできた。気味が悪く思っても、頭に貼り付いたソレは引っ張っても取れない。端からぺりぺり剥がして切り取っても気が付くとまた生えてくる。不可解なものが頭に寄生したものだと町医者に行ったがよく解らぬらしい。乾くと見栄えが悪いので角頭巾で隠すことにした。
旧知の知り合いに見せると、
「お主、それはイシクラゲという草であるよ」
と言われた。どうにも水はけの悪いところで増える陸性の藻のようなものらしい。好天では乾燥してパリパリになるが、水を吸うとプルプルと艶を取り戻す。解ったところでいつも頭をビショビショに濡らしておっては仕事にならぬ。大層厄介なものが貼り付いたものよと嘆いた。
モノがイシクラゲと聞いて、
「塩を摺り込むとよいぞ」
「酢が効くと聞いたが」
「根気よく毟ることじゃ」
と様々な助言が集まったがどれもうまくいかなかった。終いには
「熱湯を掛けよ」
などと言いだす者までいて、アホを言うな、火傷するではないか! と憤った。
気味が悪いと言うので縁談も逃した。仔細を知らぬ旅人なれば隠しておけば言及せぬので商売に目立って差し障りは生じなかったが、横の縁は次第に薄くなった。
髪の美しい者を見ると、次第に妬ましくなった。吾は苦しい思いをしているのに、髪の整ったものはこんな苦労を知らずに生きていると思った。姿の良い客を妬ましく思っていると、その客が次の宿へ行く前に何やら賊に襲われたと聞いて留飲が下がった。吾の頭を見て笑ったものが、同じく髪のことで悩む羽目になると、よい気味じゃとほくそ笑んだ。
そうしているうち、次第に孤独になった。
久方ぶりに鏡に頭を映した。頭頂部は見事に毛がなく耳の上あたりからぐるりと毛が生えている程度。
いっそ、潔く全部を剃るかと思い至った。
「おや、ご主人、なかなかと美しい頭の形を成されておる」
店頭を掃除していると、宿屋を吟味していたらしい旅人の一行に声を掛けられた。
「髪型はいかようにも誤魔化せるが、頭の形というものはなかなかどうしようもないものだ。かような形になるようにさぞかし行き届いた世話をされてお育ちになったものであろう」
「左様なご主人であれば、きっと良い宿屋であろうと期待できるな。今宵はこちらに寄せていただこう」
「は! いらっしゃいませ」
深々と頭を下げた。吾の頭の形が良い看板になったらしい。
顔を上げて、屋号の額を見る。静かな夜と良き夢に掛けて屋号を「
「お客人、今宵、
宿屋の主は暖簾を分けて内に入った。