千里香 2

文字数 1,173文字

 自分でかじりついておきながらこちらが叱られるのは、今一つ納得がいかぬ。
 剃りたての頬に触れながら、剃り残しがないことを確認した。 
 さほど濃い方でも無いと思うのだがなぁ。

 昼下がりの人もまばらな湯屋で、ゆったり浸かりながら先程の鸞の科白(せりふ)を思い起こした。

――主はどうにもならんと解っておる

 あれも、失言といえば失言か。「どうにもならん」とは「何が起きても大したことにはならん」ということか。俺が(だつ)に喉をつぶされた時も、「大丈夫か」の一言で傷の具合も確認せずに終いだった。

――丹は不死不滅の妙薬でもある

 梟の言であったか。蓮角にも言われたな。深い損傷には力を発揮するが、たかが怪我程度には反応しない……ということなのだろうか。

――人間はそもそも『丹』の意味をはき違えておるからな

 これも確か、鸞であった。丹の効は不死不滅ではないということなのか? 遠仁を喰うことと関係があるのかもしれぬが……。

 そして、神猿(まさる)に言われた、
――今回はその身分に免じて、互いに収めるとしよう

 一番の謎だ。神格の諍いを収める身分とは何だ?
 鸞に訊いて、答えるだろうか。
 俺は、仙丹を埋め込まれた死にぞこない以上に、何があるというのだ?

 そして、未だに判らぬ夜光杯の行方。多分、城下であろうと見当を付けてはいるが。

 それに……。
 人はいずれ死ぬ。俺が、鸞や波武に喰われたとて何とも思わぬが、ヤツら、鳰に対して良からぬことを考えているような気がしてならぬ。  

――儀はまだ終わっておらぬ

 だから、俺に協力しているのだろう? 贄である鳰を全き姿にする為に……。
「はぁ……」
 思わず溜息が出た。
 いずれの答えも、鳰が人の姿を取り戻すまでわからぬような気がした。

 今手元にあるのは、影向から賜った「喉笛」、雀鷂(つみ)が抱えていた「皮膚」、ましら酒に浸かっていた「胆」、そして、琴弾が抱えていた「神経」。どれをしても、まだ人の姿には遠い。

「おや、ここに居られましたか」
 聞き覚えのある声に、我に返った。
 声の主は、猿子である。
 俺は、傍に誰がおるのかも気付かずに考え込んでいたと見える。
 猿子はそばにより、俺以外には届かぬ程の小声で呟いた。
「琴弾様がおらぬようになったと、……巷はその話で持ち切りでございますよ。両替屋は何があったか知らぬ損ぜぬで通しておりますが、飛び交う遠仁がめっきり減ったことといい、貴方様でございますな」
 俺は無言で視線だけ返した。
「御安心ください。他言はいたしませぬよ。久生に愛でられているお方、きっと仔細がお有りなのでしょう」
 愛でる……にしては、かなり特殊であるがな。
 俺は目を閉じて嘆息した。
「その力を以って、一つ、助けていただきたいことがございます。お話を聞いて戴けませぬか」
 俺は再び視線を猿子に向けた。
 猿子は思いつめた顔をして、遥か一点を見つめていた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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