業鏡 5

文字数 1,062文字

 (くりや)(にお)の姿はなかった。鼻歌も聞こえないので、多分、菜園の方であろう。俺は片手で茶を淹れて計里(けり)(きょう)した。

「ほう! 甘露であるな」
 一口含んだ計里が言った。
「否、粗末なモノですまぬ。ところで……」
 俺は計里の隣に腰かけて話を振った。

「城下から遠路はるばるとは、計里の主は大分難しい御方なのか」
「おお……(しぎ)様のご容体(ようだい)のことか」
 計里は溜息を付いて湯呑を置いた。

「以前眼病を(わずら)っておられてな。甲斐あって()えたようであったのだが、見えるようになったはずなのに些か具合が悪いとおっしゃられて。城下の名医をあたったのだが……原因がわからぬ。そこで、煉丹(れんたん)も使われる(きょう)殿ならばあるいはと此処まで(まか)りこした次第なのだ」
「ふむ。……して、『具合が悪い』とは?」
 畳みかけると、計里はしばし黙して逡巡していた。
 傍目にも解せぬ様子なのであろうか。

「鴫様がおっしゃるに……亡者(なきもの)が映る……のだそうで」
「ほう……」
 どういうことだ? 
「見えぬはずのものが見え、聞こえぬはずの声が囁くのだ、と。それで、鴫様はすっかり弱って臥せってしまわれたのです」

 それは……「(やまい)」というよりは、「怪異(かいい)」だな。
 俺は厨の先の診療室の方を見やった。

「よもやそれは『眼病』ではなく『気の病』ではと思われるのですが、鴫様は『目の所為(せい)だ』と頑として譲られず……」
「なるほど」
 
 梟の見立ては……どうなのであろうか。

 そこへ、(にお)の鼻歌が聞こえてきた。

 おや、戻ってきたか。

 歌の方へ振り向くと籠に菜園の野菜を満載にした鳰が厨に入ってきた。茶を啜っていた計里が、ギョッとした顔で腰を浮かせる。

「ああ、計里には初顔であったな。俺の世話をしてくれていた鳰だ」

(おや、こんなところにお客を引き込んでサボっておりましたか)
 鳰は俺の方に面を向けた。

「人聞きの悪い。『もてなしていた』と言え」
 ムッとして言い返す。
 計里が、更に顔をこわばらせてこちらを見た。
 ああ、そうだった。計里には鳰の念波は聞こえぬのであった。

「鳰に『サボっている』と言われたのだ」
「え? あっ? なっっ……」
 狼狽えて完全に冷静さを失っている計里は、湯呑を抱えたままの中腰で俺と鳰を見比べている。
 こやつ、……鳰がいかな見慣れぬ風体だとはいえ、そこまでビビらなくても良いではないか。

 俺は嘆息した。

「落ち着け。鳰は人を取って食ったりはせぬ」

(「ひとをくったやつ」とは梟殿に言われます)

 俺はこみ上げた笑いを口を歪めて押しとどめた。
「鳰、ここは……茶化すところではない」
 
 鳰よ、 お主、俺の中では完全にキャラ崩壊だぞ!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み