乙女心と面目 10

文字数 949文字

 交喙(いすか)の屋敷内は陰の気が満ちていた。うっすらと黒い霞が掛かっている気がする。
 見ると雎鳩(しょきゅう)は始終僅かに眉間に皺を寄せていた。
 雎鳩付きの侍女たちは何も感じないようで、庭の美しさや調度の素晴らしさをことさら褒めそやして交喙の機嫌を取っていた。

 奥座敷に酒膳の準備がされ、侍女以下も一段下った場所で膳の支度がなされており、交喙が気の利いた主人であることを誇示しているようである。
 此処まで用意がよいと、さすがにあからさまでこちらは鼻白むばかりであるが、当人はちょっとしたサプライズ演出をした程度に思っているようだ。

 俺はそっと左腕を撫でた。先程からピリピリチリチリとする。領主殿の屋敷で感じたあの大きな遠仁程ではないにせよ、やはり居るとしか言いようがない。

 酒席が始まってから、俺は屋敷の中を探ることにした。交喙の隣で、ムスッとしている雎鳩に離席する旨を告げてから、そっと廊下へ出る。
 交喙の屋敷の侍女たちが部屋を出入りしながら宴の世話をしていた。

 さて、どちらを探ったものか……と廊下の左右を見ていると、一人の侍女に袖を引かれて物陰に引き込まれた。

白雀(はくじゃく)か?」
「え?」
 見知らぬ侍女は、フッと笑うと耳元に囁いた。
(らん)であるよ」
「!」
 余りの驚きに声が出そうになった。
 姿を変えるとは聞いていたが、なんで、ここに? 
「阿比も隠れておる。ここの徒組(かちぐみ)に拉致されておった。阿比からお主の情報が得られぬかと期待したようじゃのう」
 交喙はそこそこ策士であったのか。
「ところで、主は、何故ここに居る?」
 怪訝そうな鸞に、雎鳩と行動を共にするようになった経緯を話した。
 ほう、と鸞は座敷の方を見た。
「あの女子(おなご)か……」
 ちょっと眉を顰めてから、俺に視線を戻す。
「何やら

がありそうな……」
「そりゃまぁ……」
 高貴の子女であるしな。
 俺は被っていた安摩の面をずらした。
「で、鸞は? なんでこんなところで侍女になっておるのだ」
「あー、語れば尽きぬ話であるが、喰ったついでにここらに何故(なにゆえ)お腐れがウジャウジャしておるのか気になってのぅ。探っておるのじゃ」
「喰った? ……って、何を? 『お腐れ』って何のことだ?」
「まぁ、些末のことは気にするな。口直しじゃ。『お腐れ』とは遠仁のことだ」
 遠仁? やはりここに居るのか! 
 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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