ましらの神 6
文字数 1,392文字
「獺 は毎夜のごとく我が娘の寝所へやってくる。ええと、蓮雀 と言うたな。何をか用意がいるか?」
御館様は、憔悴の色も濃い初老の男であった。普段であれば、威厳を纏った偉丈夫なのであろうが、ここしばらく子女のところへ夜這いに来る怪異の所為で、すっかりと生気を抜かれた様である。
「俺には用意は要らぬ。異形の婿殿に、美味い酒でも振舞ってやれ」
眉間に皺を寄せて、御館様は、ぐうと唸った。
この際、得体の知れない者であっても獺を何とかしてくれるのであったら、と藁にも縋る思いなのであろうな。流れ者の俺の提案に乗るなど、普通ではない。
子女の寝所は渡りで繋がった館の離れに準備されてあった。もともと、この体 であったらしい。俺は、渡りの下に控えて待つことにした。
場所を確かめた後、俺は、猿を込めた籠を屋敷の庭の隅に持って行った。
「御館様が、約束を違えるとは思えぬが、俺に万が一のことが起こった場合のことを考えて、先に御前を放っておくからな。此処から、疾 くと群れに帰れ。俺には、御前の群れが抱えているらしい肉が要るのだ。俺の大事なヒトの身体の断片なのだ。御前を放つことが、その肉を得る条件だったのだがな、また、新たな引き換え条件が生じてしまった。煩わしいが、コレも約束。きっと、仕事を終えて、戻るから。群れの長 にはそう伝えてくれ」
籠を開けると、猿は直ぐには動かず、戸惑うように俺の顔を見た。
「大丈夫。此処でくたばっては、俺も願を満たせぬ。きっと、戻るから安心して帰れ」
それでも、猿はしばらくジッと俺を見ていたが、やがて、後ろを度々 振り返りつつ屋敷の塀に登って姿を消した。
空の籠を下げて戻って来ると、鸞が呆れ顔で待っていた。
「逃したのか?」
「ああ。俺の退路を断っておいた。これで俺は勝つしか無うなった」
「また出たよ! 主の予想外!」
「いう程か?」
つい笑みが漏れた。
久方ぶりの武者震いが来た。これが気持ちがいいと思うほどには、俺にも兵 の血が残っている。
渡りの下の雪をかき分けて、しっかりと茣蓙を敷いた。
来た時は狙わない。帰りに挑む。程よく酒も回っていようから、きっと愉しく相手をしてくれることであろう。
蓑笠をきっちり着こんで、俺は茣蓙の上に控えた。
鸞がその隣に引っ付くようにして座った。
館の方が静まって夜半にかかるかと言う頃、渡りを歩いてくる音がした。一歩一歩ゆっくりと踏みしめる度 に軋む羽目板の音が、中程で止まった。
「ネズミがおる」
落ち着いた低い声だった。俺は笠の端を傾げて、上目に相手を確認した。橡 色の袍を羽織った色白の男がこちらを見下ろしていた。黒目がちで愛嬌のある目元であるのに、顔全体の印象が剣呑に映るのは、造作のつり合いにしては大作りな口の所為だ。
「姫がお待ちであるからな。今は捨て置いてやる。帰りにゆるりと相手をしてやろう」
笑いを含んだ声音で言うと、再び歩き出し子女の寝所へと入っていった。獺 を迎え入れた寝所の内から子女の嬌声が上がる。
俺はシラッと鸞に目配せした。
「おい。濡れ場ぞ」
「酷いな、主!吾 を好き者みたいに言うなよ!」
鸞は笠を差し上げてブスくれた顔を覗かせた。
「そうか? 先だってはヒトに無体を言いおって」
「吾にも、好みの様式というモノがある!」
……知りたくもない。
俺は腕を組んで目を閉じると、心を無にして異種格闘の睦み声をやり過ごすことにした。
御館様は、憔悴の色も濃い初老の男であった。普段であれば、威厳を纏った偉丈夫なのであろうが、ここしばらく子女のところへ夜這いに来る怪異の所為で、すっかりと生気を抜かれた様である。
「俺には用意は要らぬ。異形の婿殿に、美味い酒でも振舞ってやれ」
眉間に皺を寄せて、御館様は、ぐうと唸った。
この際、得体の知れない者であっても獺を何とかしてくれるのであったら、と藁にも縋る思いなのであろうな。流れ者の俺の提案に乗るなど、普通ではない。
子女の寝所は渡りで繋がった館の離れに準備されてあった。もともと、この
場所を確かめた後、俺は、猿を込めた籠を屋敷の庭の隅に持って行った。
「御館様が、約束を違えるとは思えぬが、俺に万が一のことが起こった場合のことを考えて、先に御前を放っておくからな。此処から、
籠を開けると、猿は直ぐには動かず、戸惑うように俺の顔を見た。
「大丈夫。此処でくたばっては、俺も願を満たせぬ。きっと、戻るから安心して帰れ」
それでも、猿はしばらくジッと俺を見ていたが、やがて、後ろを
空の籠を下げて戻って来ると、鸞が呆れ顔で待っていた。
「逃したのか?」
「ああ。俺の退路を断っておいた。これで俺は勝つしか無うなった」
「また出たよ! 主の予想外!」
「いう程か?」
つい笑みが漏れた。
久方ぶりの武者震いが来た。これが気持ちがいいと思うほどには、俺にも
渡りの下の雪をかき分けて、しっかりと茣蓙を敷いた。
来た時は狙わない。帰りに挑む。程よく酒も回っていようから、きっと愉しく相手をしてくれることであろう。
蓑笠をきっちり着こんで、俺は茣蓙の上に控えた。
鸞がその隣に引っ付くようにして座った。
館の方が静まって夜半にかかるかと言う頃、渡りを歩いてくる音がした。一歩一歩ゆっくりと踏みしめる
「ネズミがおる」
落ち着いた低い声だった。俺は笠の端を傾げて、上目に相手を確認した。
「姫がお待ちであるからな。今は捨て置いてやる。帰りにゆるりと相手をしてやろう」
笑いを含んだ声音で言うと、再び歩き出し子女の寝所へと入っていった。
俺はシラッと鸞に目配せした。
「おい。濡れ場ぞ」
「酷いな、主!
鸞は笠を差し上げてブスくれた顔を覗かせた。
「そうか? 先だってはヒトに無体を言いおって」
「吾にも、好みの様式というモノがある!」
……知りたくもない。
俺は腕を組んで目を閉じると、心を無にして異種格闘の睦み声をやり過ごすことにした。