禁色の糸 2

文字数 1,130文字

 三月虫(みつきむし)は翅を開けば大人の片掌に余る大きさの蚕蛾(かいこが)である。黒い大きな目に柔らかい毛で覆われた身体は可愛らしい。四枚の羽それぞれに三日月の模様が入っているので「三月」虫の名がある。薄緑色のコロリとした幼虫は、神樹(しんじゅ)(くぬぎ)(くす)などを喰って繭を作る。繭のまま冬を越し、春、暖かくなってから羽化する。
 養蚕を営んでいる者らは、今時分、収穫した繭の一部から蛾を羽化させて採集した卵を木に戻すという作業をしている頃だ。

「俺がまだ子供の頃な、楠に付いていた三月虫の幼虫を近在の女子(おなご)に見せに行ったのだ。薄緑の美しい色をしてな、先が柔らかな角が可愛らしいのだ。太くて小さい脚をこうモソモソと……」
「ああああ……皆まで言わずともわかるわ! 盛大に悲鳴を上げられた挙句、水か塩かぶっかけられたのだろう?」
「すごいな、鸞。何故わかる?」
「主は朴念仁ゆえ知らぬのだろうがな! 女子には虫が平気な者と嫌いな者の二種類がおるのよ! 前者は希少種だ!」
「そうかー。母は養蚕の経験があったので蚕とみると可愛がっておったからな。まさか、かような目に会うとは思わなんだ」
「……主、もしかすると、虫以外でも似たようなことをせなんだか?」
「青い

の話か?」
「したのか!」
「小さい奴はカワイイだろうと思うたのだ」
「悪気がないだけ(たち)が悪いな!」

 春の支度で忙しい村々は駆け足で通り過ぎ、宿屋のある町では補給をして、俺たちは着実に目的の場所へ近付いていった。
 途中から道は見覚えのある景色になった。終に、街道と合流したのだ。とはいえ、この先は輜重(しちょう)の基地に土地を借用した村が一つあるきりだ。俺が、梟と……鳰と初めて顔を合わせた場所。勿論、今は(にわ)か作りの基地も天蓋もなく、気忙しい春の養蚕の村である。阿比に依頼をしてきたのはこの村の(おさ)で、それも、「戦の折、従軍していた謳いを」という内容で呼ばれたらしい。

 村に着いたら、まず村の長に話を聞けと言っていたか……。
 俺は鸞と共に、村のひときわ小高い丘の上に立つ屋敷の門を叩いた。奥から出てきた若い男に阿比に頼まれて来たという話をすると、どうやらピンときたようで直ぐに村の長のところへと案内してくれた。
 屋敷の周りをぐるりと裏へ廻ると、広い敷地で数人の男女が忙しなく立ち働いていた。浅く広い引き出しのような枠の並ぶ台の上で何やら紙を仕訳けたり切り分けたりしている。紙に付いているのは虫の卵か。これから、若葉の出た木の枝へと結ぶのであろう。
「お待たせして済まぬ。我は、この村の代表を務める慈鳥(じちょう)と申す者。かようなところまで遥々お越し戴き、誠に痛み入る」
 振り返ると、殆ど白髪になった総髪を後ろに束ねた色黒の翁が立っていた。俺と鸞も丁寧に挨拶を返し、早速と状況の説明を促した。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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