千里香 3

文字数 886文字

 猿子は、ここらの雪深い村々を主に回っている、と言った。冬場は遺体の傷みが遅いので遠仁に変化することも少なく、肉体的労に比べて精神的負担は軽いのであるが……と前置きをして語りだした。

「我の廻る村の一つに、絵師が移り住みました。竹林の美しい土地を探して当地に庵をむすんだらしいのですが、住まうようになってから怪異に見舞われておるのだそうです」
「怪異とな?」
「はい。当人から聞き及ぶに、夜になると(おとの)うモノがいる、と。始めは村人かと思うておったそうですが、どうやらそうではないらしい。夜休もうとすると現れるので、相手をしているうちに、病みやつれたような様になってしまったそうで。彼と付き合いのある刷り師から、何か人ではないモノに付き纏われているのではないかと相談を受けました」
「で、主は確かめたのか?」
「はい。当の絵師はソレをいささか面倒がりはすれども厭うほどではなく、相手が何であるか疑うようなこともないのです。何者かに化かされているのではないかと訝るほどで有りました。心配しているのは刷り師の方で、当の本人から相談が来たわけでは無いところでお察しなのでありますが……」
 俺の力は「(あやかし)退治」とは違うのだがな。とりあえず、鸞にそこらに当たりがあるかどうか聞いてみよう。
「ここから近いのか?」
「はい。この、奥の村でございますよ。刷り師というのは、この町の者であります」
 仮に妖の類だとしても、山中で(たぶら)かすと言えば、狐狸貉(こりむじな)のあたりであろう。
「さても、俺の範疇であるかはわからぬ。鸞にも聞いてから返事をさせていただこう」
「良いお返事を、お待ち申しておりますよ」
 猿子は恐縮して身を丸め、僅かに頭を下げた。
「それにしても、遠仁を召される側の腕は、大変な怪我をなさっておいでだったのですね」
 やはりそこは突っ込まれるよな。俺は苦笑した。
「ああ。治療した医術師からは、千切れかけておったと言われた」
「それは余程腕の良い医術師に当たられたのでございますな」
 猿子はそれ以上を詳細を聞こうとはしなかった。大なり小なり誰もが語れぬ仔細を抱えていることは、謳いである以上、重々承知なのであろう。
 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み