隣の花色 2

文字数 992文字

 その晩、部屋を取った宿屋で珍しく裏口の場所を説明された。
「この宿では、乱暴な押し込みが入ったことがありましてな。いざという時は直ぐ逃れられるよう手回り品はまとめておいてくだされ。……先月は人が亡くなっております」
「それは……物騒な」
 (あるじ)の言葉に、俺は鸞と顔を見合わせた。屋代の久生が言っていた「厄介な案件」とは、此れのことか? 
「時に主人、ここのところ屋代は些か立て込んでおるようだが……」
「ああ……それは、……」
 宿屋の主は左右を見渡してから声を潜めて答えた。
「……辻斬りでございますよ」
「辻斬り?」
 俺は目を瞬いた。
「旅の御方は大概が宿屋に入ってしまえば休んでしまわれるので関わりないと思われますが……。一夜に数人が()られることもあります。恐ろしいことです。夜回りも捕り方も居るのですが、何せ出没自在でありますれば……厄介な事でございますよ」
 どうにもこの宿は、荒れておる。
 鸞は何故か暗い顔をして目を伏せた。

 寝具を引っ(かぶ)り、枕辺の細い灯りになっても、鸞は浮かない顔をしていた。
「何か、考えごとか?」
「……うむ」
「俺が、聞けることか?」
「………」
 鸞は目だけこちらに向けた。
 灯明の灯りが瞳に映る。
「横死の魂は……時に厄介だ」
「……ふむ」
「肉から離れることを受け入れられない者がいる。惑う内に肉を尸忌(しき)に食われて遠仁になってしまう。基本、尸忌は待たぬからな」
「もげばよいではないか。主が時々やるように」
 俺が言うと、鸞は、解ってないな、という顔で溜息を付いた。
「生身からもぐときは吾に主導権があるが、熟した時には無いのよ。戦場なれば、

皆承知しておるから一気に召すことも可能であるが、そうでなければ暴れまわる魂を組み伏せてから喰う羽目になることもある」 
「なるほど。それが、屋代の久生の言っていた『猫の手も借りたい』というやつか」
「口の利き方のなっておらんクッソ生意気な奴がどうなろうと知ったことではないが、万が一、奴が取りこぼして遠仁が溢れることにでもなったら承服しがたい事態であるよ」
「そう言えば、俺が死にかけた戦場で敵陣の『謳い』が失敗して遠仁に喰われたことがあったが、その場合、久生はどうなるのだ?」
「久生は、どうにもならぬ。『謳い』が遠仁に取り込まれる前に……吾ら久生が、憑りついた遠仁ごと『謳い』の魂を

喰うだけだ」 
 浮かない顔のまま、鸞は答えた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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