借り 7

文字数 926文字

 武楽舞の曲調が「破」に変わった。鉾舞になったのだ。
 後は面をつけるだけ、まで衣装を整えた『落蹲』の舞手が、差し向かいの床几(しょうぎ)に腰掛けた。

「天覧席を見たか? 今年も国主殿はお出ましに成れぬ程のご体調なのだな」
 話しかけられて、俺は面の顔を上げた。
「若君が座っておられた……。昨年の顛末を思えば、新参が体調を崩すほど緊張するのも仕方のない」
「ああ、そうであるな」
 俺は話を合わせた。『落蹲』の男は大きく溜息を付いた。
「ちょいと跳ねる機がズレただけで、舞台に矢を射かける狼藉に、面前での打擲(ちょうちゃく)はやりすぎであるよ」
 俺は奥歯に力を込めた。
 祭の席で、蓮角はかようなことをしておったのか……。
「新嘗において舞手は神を喜ばす巫子(みこ)であるのにな……」
 思わず話を受けてしまった。
鷹鸇(ようせん)殿がおらぬが故、誰も引き留められぬ。あの方も難しい御方であったが、若君においては唯一(いさ)められる立場におられたからな」
「………」
 (ばち)を握る右手に力を込めた。
 蓮角に近付く好機として雎鳩宛の新嘗祭招待を利用したが、気に入らぬことをすればあちらから絡んでくるということか。
 俺は脱いだ衣の中に手を入れて(うかり)を引き出し、裲襠(りょうとう)の内に差し入れた。

 曲調が「急」に変わった。そろそろ、舞台袖に控えねばならぬ。
 俺は立ち上がった。
「今のところ、若君の虫の居所は良いようだな」
「ふん。まだ、そこまで酒が回っておらぬのであろう」

 俺は袍の裾を(さば)くと、楽屋から出た。
「おや、ここに居った!」
 ふいに声を掛けられた。
「鸞か」
 面で視界が遮られるので、声で判断して応じる。
「なかなか勇ましい様であるな! 衣装を着けての主の舞を見られるとは、吾も眼福であるよ!」
「蓮角の茶々が入らねばな。……気に入らぬと矢が飛んでくるらしいぞ」
 勝手知ったる舞台への通路を速足で行く。
「なんと! それは興覚めな!」
「で、何故この瀬戸際にわざわざ来たのだ?」
「ああ! それよ!」
 鸞の次の言葉を待つ。
「蓮角の遠仁は肉に憑いているのではなく、魂と同一化しておるようなのだ。鳰の肉を得ようと思わば、蓮角自身を()らねばならぬよ」
「……承知した」
 鳰を過酷な境遇へ落とし込んだ非情の親だ。
 血縁など関係ない。しっかり報いを受けていただこう。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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