玉の緒 1

文字数 902文字

 今年も暦の上で最後の月に入り、年を越える準備に何かと忙しない時期に入った。梟へは、あれ以来鵠からの呼び出しが来ない。
 俺と鸞は施療院の外回りと鳰の手伝いをする平和な日々を送っていた。
 波武、阿比だけでなく、俺らも鳰の周囲に常駐するようになったためか、遠仁の出現率は少なくなっているようであったが……。

「ねじゅみー!」

 厨から鳰の叫び声がした。裏口の外で薪を割っていた俺は、薪を握ったまま急ぎ屋の内に入った。鸞の方が先に駆け付けたようで、厨からドスンバタンと追いかけまわす足音がする。
 左腕がチリリと痛んで、俺は久しぶりの感覚に笑みを浮かべた。

 おいでなすったな。

 厨の出入り口から走り出てきたモノに向けて薪を投げつける。ゴスッと音を立てて薪はネズミの頭に見事命中した。まるまるとしたドブネズミだ。

「大丈夫だ。やっつけた! 始末をつけるまで鳰は廊下に出てくるなよ!」
 俺は腰に挟んでいた手ぬぐいでネズミの死骸を包み、ついでに床を拭った。
 あー、床がちと凹んだか……。
 厨から顔を覗かせた鸞が眉間に皺を寄せて俺を見た。
「遠仁だ。どこから入ったものか……」
「多分、流しの排水口からであろうな! 外を見てくる。網が外れておるかもしれぬ!」
 鸞は厨に引っ込み、勝手口から表へ出て行ったようだ。俺は手元に視線を戻すと、カチ割れたネズミの頭から青い玉を引き出して左手に握り込んだ。

「鳰? 怪我はしておらぬか?」
「おらぬよ」
 戸口からひょこッと顔を出した鳰は、ネズミの血で汚れた俺の手元を見て、ハッとして顔をひっこめた。始末をつけるまで出てくるなと言うたのに……。

「おい! 波武! 鳰を見ておけ!」
 廊下の奥に呼びかけると、チャッチャッと爪の音を立て、波武が灰色の毛を揺すりながらこちらへ走ってきた。
「御不浄くらいゆっくりさせろ」
「お主……人の厠を使うておったのか………」
「今頃気付いたのか?」
 いや、今はその話をする時ではない。
「どうやら、隙を付いたようだな……」 
 阿比は梟と出かけて留守であった。
 これから寒さが厳しくなると、また下からネズミが上がってくるかもしれず。久しぶりに洞穴に潜って遠仁をさらっておくか。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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