モノノネ 1

文字数 985文字

 施療院に帰り着いた頃は、もう春であった。道の傍に咲く蒲公英(たんぽぽ)嫁菜(よめな)なぞの色とりどりの花々に自然に顔がほころぶ。飛び交う蝶を目で追いながら、門をくぐると早速と帰還を察した波武(はむ)が庭に出てきた。尻尾を振って、あちこちにおいを嗅ぎまわる。
「わわ! なんだ! ()のことをひどく嗅ぎまわって! ……あれぇ? 何ぞ踏んできたかのぅ」
 あまりに波武が入念に鸞を嗅ぎまわるので、鸞は靴の裏まで確認して首を傾げた。鸞が片足立ちになったところで、波武がド突いたので、コロリと転げて尻もちをつく。
「こら! 待て! 吾は鳰の肉を負っているのだぞ! 手荒にするな!」
 俺が、鳰の荷をスルリと奪い取ると、波武は、ワン! と嬉しそうに吠えて鸞をべろべろと舐めまわし始めた。
 何をして波武が察したのかは解らぬが、鳰をめぐっての「休戦」は「和解」になったらしい。さて、和解の結果が波武の取り分をかすめることになるのだが、波武はそれも承知してくれるのかどうか。
 鸞がくすぐったがって賑やかに悲鳴を上げるので、阿比が玄関から出てきた。
「おう! 帰ったか。どうだ?」
「ああ。首尾は上々だ。鳰は?」
「今、梟殿が耳の微調整をしておる。その内出てくるぞ」
 阿比は、屋の内を親指で指した。
「鳰の、琵琶の具合はどうだ?」
「うむ。アレは中々筋が良い。主に謳いの手ほどきをしたのとは比べようがない」
 うわー。ニヤニヤしながら、そんな恥を蒸し返すなよ。
 俺が、阿比に文句の一つでも言ってやろうかと思った時、衣の裾をグイと引かれた。
「わー、ひどい目に会うたわー」
「莫迦! 鸞! そんなとこで波武の涎を拭くな!」
 振り返って鸞に悪態をついていると、目の端に鳰の姿が映った。
「あ、鳰、今帰った………ぞ?」
 見ると、鳰が身を二つに折って笑い転げる仕草をしている。
 あ、えっと、念波を受け取る装置は、………。
 腰回りを探っていると、鳰の後ろから梟が出てきた。
 あ、そうだ。置いて出たのだった。
「よく無事にお帰りになった」
 旅の労を(ねぎら)いながら、梟が念波装置を差し出したので早速耳に差し込む。途端に最大音量の鳰の笑い声が頭に響いた。目をシバシバさせながら改めて鳰を見ると、ようやく音量が下がった。
(お帰りなさいませ、白雀殿。よく聞こえましたよ。「莫迦!」って!)
 えー……。 
 寄りによって、鳰に聞かせた初めての俺の一声が、それであったのか?
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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