千里香 4

文字数 1,167文字

 して、また雪道である。
 新雪を踏み分けるわけでは無いのがまだマシだが、足場が悪いのには辟易する。全く、その絵師とやらは、何故にこんな辺鄙なところに居を構えることにしたのやら……。
 ああ、そうだ、竹であったか。

「よく解らぬが、縁があるなら行ってみよう。もしかすると『獺の術』で幸を引いたかもしれぬよ」
 鸞の一言で猿子の依頼を引き受けることにした。解決できる類のものかは行ってみなくてはわからぬと言い置いて、だが。

 雪道を歩きなれた風の猿子(ましこ)の後を、鸞と二人、ただただせっせとついて行く。夕暮れまでには村に着くらしい。絵師の庵はそこから幾分も離れていないという。
 やがて、視線の先に、こんもりと雪を被った竹林が見えてきた。道の両脇に竹垣が組んであり、垣の内は雪が掻いてある。ようやく人の気配のする道に辿り着いた。
「此処まで来ればじきである」
 先頭の猿子が振り向いた。
「村に入る前の道を右に折れて竹山に上がっていく。主ら、大丈夫か?」
 いや、大丈夫でなくても行かねばならぬだろうよ。
 俺は額の汗を拭って頷いた。

 そこから更に歩いて日も傾きかけた頃、竹林の奥にある絵師の庵についた。なるほど、周囲は端正に手入れされた竹林に囲まれ、水墨画のような美しさだ。しばらく疲れも忘れて静謐(せいひつ)な光景にただ見とれていると、猿子が庵の奥から独りの男を連れてきた。歳の頃は猿子とさして変わらぬ印象を受けたが、目の下にクマが出来て不健康そうな顔つきだ。目だけが生気を放ってギラギラ輝いている。
「我が庵へようこそお越しくださった。(かん)と申す。どうだ? 見事な竹林であろう? いつ見ても素晴らしいが、この季節は格別よ。毎日この光景を映し取るのに腐心しておる」
 翰の庵は、庵という程こじんまりしてはおらず、普通の茅葺の一軒家であった。実のところ、多人数で押しかけて迷惑ではないかと些か心配しておったのだが、それは杞憂で済んだようだ。
「この家は、以前猟師が住んでいたようだ。持ち主が亡うなってあばら屋になっておったものを修繕したのだ」
 
 中に入ると、作業用なのか土間が広く取ってあり、独り暮らしには立派すぎる竈が設えてあった。
 屋の内をキョロキョロと見回していた鸞は、ふと首を傾げ再び外へ出た。
「裏には何ぞあるのか?」
 屋の内に戻った鸞は、翰に聞いた。裏手の山の上が気になるようだ。
「ああ、少し上がったところに見晴らしがある。竹林を見渡せる場所だ」
 翰が答えた。鸞はどうにも気になるようで、更に食い下がる。
「後で行ってもよいか?」
「そうだな。明日、案内しよう。そろそろ陽が落ちる」
 そう言うと、翰はいそいそと囲炉裏に粥の支度を始めた。
 猿子が俺に目配せした。
「陽が落ちると、……来るのだよ。翰は準備に余念がない」
 気ぜわしいな。来て早々、その怪異とやらにお目に掛かれるのか。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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