汲めども尽きぬ 10

文字数 1,051文字

 まずは、少しずつ外堀を埋めていくか。
 琴弾様と対峙したら鬱陶しい存在になりそうな浮遊遠仁を少しずつ喰ってくことにした。一番溜まっているのは、やはりあの両替屋周辺だが、他にも人が集まるところには数が多い。普通の者には遠仁が見えぬのを幸いに、俺はヒラヒラと左手を翻しながら遠仁を吸い込んでいく。
 不思議なことに、何度かやっていると遠仁の方から近付いてくるようになった。成仏したいのか、琴弾の命で見に来ておるのか……。
 まぁ、俺にとっては手間が省ける。

 夕刻、目に映る遠仁が減ったと実感した頃合いで、両替屋の前に様子を見に行った。何やら店頭が騒がしい。一人の男が気ぜわし気に右往左往しては、通りの者を捕まえて懇願している。
 鸞と顔を見合わせて、俺は男に近付いた。
「もし、いかがされたか?」
 顔の色を無くした男は、充血した目を俺に向けた。
「主……何か……何か願いは無いか? 願いは……」
 これは、……秒読みが始まっておるとみえる。
「落ち着いて、いかな経緯なのか話してもらえぬか? きっと力になれよう。……琴弾様の………ことであろう?」
 琴弾の名を聞いて、男は目に見えて取り乱した。
 俺は、男の両肩をしっかりと掴んで目を見据えた。
「しっかりしろ! 狼狽えては、時間の無駄である!」
「ああ……私は、この店の(あるじ)木々須(きぎす)と申す者。私ら夫婦は長年子宝に恵まれず、窮した挙句琴弾様を迎えて『跡取り息子を』と祈念したところ、妻が懐妊し先程元気な息子が産まれもうした。そこで……そこで……琴弾様に『次の願いは何じゃ?』と」
 そこで木々須はゴクリと唾をのんだ。
「しかして、我が子の行く末を思い『お(たな)の繁栄を』と望んだら『終いの無い願いは聞けぬ』と。泡を食って、夕餉に『お産の労いとして妻に鯉こくを』と所望した。多分、琴弾様のこと。難なく鯉を用意するであろう。次の願いを思いつかぬ! 思いつかねば、私は……私は……。やっと跡取りに恵まれたというに……私は……」
「解った解った」
 俺は木々須の肩を撫でさすった。
「俺が、琴弾様を引き受けよう」
 木々須は目玉が飛び出るかと思うほど、目を見開いた。
「……ただし、これが琴弾様の終いになる。それでも良いか?」
 木々須は血走った目を通りに向けた。
 知り合いもいるであろうに、道行く町の者は、木々須を遠巻きに眺めては立ち去っていくのみで、寄ってくるものは誰一人いない。
 木々須は俺の目を見て、コクコクと機械仕掛けのように頭を振った。
 決まりだな。
 俺は鸞に目配せをして、両替屋へと足を向けた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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