掌(たなごころ)の月 3

文字数 1,052文字

 施療院の門が見えてきた時、俺は訳もなく目頭が熱くなるのを感じた。
 いつのまにやら、此処は俺の家になっていたようだ。跳ねるように先を行っていた(らん)が、門の下で立ち止まって施療院の額を見て首を傾げた。戸口に寝そべっていた波武(はむ)が、のっそりと立ち上がってパタパタと尻尾を振っているのが見えた。
 ワン! と一声吠える。

「あー……まことに……()るわ」
 鸞は、波武を見て溜息をついた。後ろ姿で分からないが、多分物凄い渋面を作っているにちがいない。
 その時、施療院の戸口から(にお)が顔を出した。
「鳰……」
 俺は自分でも気付かず速足になって施療院の門をくぐった。
 鸞を追い越して戸口を目指すと、亡くさぬように腰ひもに括りつけていた巾着から念波を拾う装置を左耳にねじ込む。

(白雀殿! よくご無事で!)
 久しぶりに聞く鳰の念に、俺はホッとした。
(本当に案じておりました。聞けば、主を捕らえに来たのは蓮角(れんかく)という乱暴者だったと言うではありませぬか。国主様の思惑は解らぬし、あのまま帰って来ぬのでは無いかと、日々気をもんでいたのでございます。こうしてご無事を確認出来て、それだけで私は満足でございます。さあ、(きょう)殿も中におります。どうぞお入りくださいませ)
 怒涛のおしゃべりも懐かしい。
 ああ、嫌になるまで鳰の独り言と鼻歌にまみれていたい。

「おい! こら! ()のことはマルッと無視か!」
 後ろで(らん)がプンプンしている。
  
 そうだった。コヤツの紹介を忘れておった。
 
 俺が振り返るのと、鸞が抗議の悲鳴を上げるのが一緒だった。
 衣の帯を波武に咥えられて、鸞がジタバタしている。
 なんかカワイイ。
「ああ、コヤツは鸞と言ってな、波武に逢いとうて付いてきたのじゃ」
「波武にではない! 鳰とかいう子に! じゃ!」
 プリプリしながら波武のモフモフの体を押しのけようと藻掻(もが)いている。

(ええっ! 私に逢いに来たのですか? まぁ、可愛らしい子ですね。波武、歓迎しているのは解るけれど、放しておやりなさい)
 しゃがみこんだ鳰は、波武が急にパッと口を放してつんのめった鸞を抱きとめた。
「ほう! 興味深い成りをしておるのだな! 吾は鸞と言う! キレイな(かしら)だな! 触っても良いか?」
(わぁ! キレイなんて言われたの初めてです。いいですよー。どーぞどーぞ)
 
 戸口でワイワイ騒いでいたので、梟殿が出てきてしまった。
「おう! 白雀殿! 無事帰り申したか!」
 心なしかやつれているように見えるのは、心労の所為か。
「梟殿……」
 俺は後の言葉が続かず、梟としっかと抱き合った。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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