夏椿の森 1

文字数 688文字

 俺は、はね散らかした黒い吐瀉物まみれの体を起こしてふらりと立ち上がった。見れば、ここは真っ黒な土に覆われた(おか)のような場所だった。いたるところに白い花を付けた樹が生い茂り、地面にはそっくりまるごと落ちた白い花が(あられ)模様を描いていた。木漏れ日が光の網を作って揺れている。
 
 俺は、この光景を知っている。
 あの、……意識の混濁した、死の瀬戸際だ。
 水底に落ちていく、あの感覚だ……。

「ついてこい。ここを下ったところに沢がある」
 波武(はむ)が身をかわした。
 俺は夢見心地の茫然とした様で、その後に続いた。

 果たして丘の麓には清涼な水を湛えた沢があった。
 血と汗と、吐瀉物と、何もかもにまみれて気持ちが悪かったので、俺は躊躇わず沢の水に足をつけた。
 そこで、はっと気が付いて懐に手を入れた。俺が手に入れたものは……。
 
 小さな肉色の饅頭が二つ……?

「なんだ……これは?」
 両手の上でコロリと転がして、ようやくそれが何かに気が付いた。
 赤子の、握りこぶしだ。
 手の内に収まるほど、小さな……。
 こんな…………小さな。
  
 俺は、声を詰まらせて固まった。

 こんな、小さな幼子を贄に捧げたと言うのか。
 この大きさなれば、未だ乳飲み子だ。
 それでは、己を贄にささげた相手を、己が雌雄どちらかを知らぬでも不思議はない。
 
 なんと……いたわしい。
 
 透明な膜越しに、柔らかい拳をそっと撫でて、ふと、プリプリ怒っていた鳰を思い出して笑みが(こぼ)れた。こんなに()い肉なら、()でずにおられぬだろうよ。

(にお)の言うとおり、気持ちの悪い奴だな。ほれ、ここにそれを置いて体を洗え」
 
 波武が大きな(ほお)の葉を咥えてやってきた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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