業鏡 9

文字数 815文字

「返せ」

 ――なんと?

「その目玉を返せ。それは、其の方のものではない」

 ――いやじゃ

 俺は眉を顰めた。

 ――我は 召されたいのじゃ 切願なのじゃ
 ――ゆえに 老い先短いオンナに憑いたのじゃ しばしの夢も 見せたのじゃ

「知らぬ」

 ――なんと?

「そのような理屈は知らぬ」
 握り込んだ俺の左の拳から、見えない血が滴ったような気がした。
 
 ――捨て置いてくれぬのか

「無論」

 ――ならば 力ずくで 護るまで!

 鴫は、顔を覆っていた透明なお椀を跳ね飛ばし、上半身をガバリと起こした。梟が慌てて、飛んでいったお椀を床すれすれでキャッチする。
 鴫は白濁した目をぎょろつかせながら俺に向いた、クワッと開いた口からは、ネバついた唾液が糸を引いて垂れる。
 
 誠に……遠仁というのは、あさましく醜いことよ。
 
 俺は左腕の袖をまくって、拳を鴫に突き出した。

「暴れるな。其の方の器は、(もろ)い老女なのであろう」
 
 ――だまれ! 小僧! おのれが 狼藉をはたらこうとするからじゃ!

「狼藉者は、どちらだっ!」

 俺は拳を開いて掌を鴫に向けた。
 今度は、はっきりと見た。
 俺の掌から丹い光が放たれ鴫を照らしたかと思うと、ぐにゃりと鴫の顔が歪んで伸びた。
 鉤のように曲げられた鴫の手指がこちらにつかみかかろうとする前に、歪んだ顔が俺の掌に吸い込まれる。
 と同時に何かを掴んだような感覚と腕を駆け上ってくる熱い塊。
 しかし、今回はそこまでだった。

 スンっと丹い光がおさまると、鴫は糸が切れたようにくたりと体勢を崩し、これまた梟が慌てて体を支えて(とこ)に横たえた。

「……なんと」
 梟はそう口にしたまま、二の句が継げずに目を瞬いている。
 俺は、左手の拳に収まったモノを目にして動けずにいた。

「梟殿……」
「はっ?」
 梟がこちらに振り向いた。
「これが……」
 俺は手に収まったモノを、梟へ突き出した。

 透明な、寒天のような膜に覆われている、肉塊。

 それは、筋肉と神経が付いた眼球であった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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