夏椿の森 10

文字数 916文字

 足元を見るに、館の徒組(かちぐみ)のようだ。つまりは、馬上資格のない下級警邏(けいら)隊だ。2人組で警邏をするのが常で、俺の前にも2人分の脚が見える。
 ここは適当なことを言うしかない。
「はい。先ごろ『(うた)い』見習いを始めました」
「ふむ……」
「笠を脱いで顔をみせよ」
「いや、それがひどいご面相にございまして、勘弁していただきたく……」
「ひどいご面相かどうかはこちらが判断する。さぁ!」
 徒組の男が凄んでくる。
 これはマズイ。
 阿比(あび)はまだ戻ってこないしどうしたものか……。

 そこへ、女物の馬車が通りかかった。朱房の装飾も派手な御簾が半分ほど上がり、中から主人のものらしい声がして馬車は目の前に止まった。
「流しの『謳い』であるか? 丁度良い。母者の回忌を上げるのに探しておったのじゃ。きやれ!」
 御簾の奥から桃色の着物の裾がのぞいたかと思うと、相手は直々に下りてきた。徒組(かちぐみ)の者らが慌てて左右によける。笠の所為で足元しか見えないが、余程高位の子女らしい。繊細な刺繍も麗しい靴が駆け寄り、俺の左腕を掴む。
 掴まれた場所がくっきりと熱くなり、心臓がドクンと跳ねた。

「さて、乗れ。我が館へお連れするゆえ」
 女の細腕とは思えぬ力で御簾の奥に押し込まれる。
「あ、ええ?」
 驚いて振り向くと、子女は小さくつぶやいた。
「其方、……遠仁を探しておるのだろう?」
「………」
 俺は茫然と座席に座り込んだ。
 笠を脱いで相手の顔を確認したい誘惑を無理くり押しとどめる。
 それは、今ではない気がした。

「出してたもれ」
 子女の声で、馬車は動き出した。



「おーい。お待たせ……って、あれ」
 門付から戻った阿比は、キョロキョロとあたりを見回した。
 門の外で待っておれと言い置いたはずの白雀の姿が見えない。
 ――まさか、見つかったか? 
 ――だったら、表がもっと騒がしくなっていたはずだが……。

「折角、餅を2人分いただいたのに……。私が独りで食っても文句言うなよ?」

 ――まぁ、見つかったとしても、直ぐにどうにかなるとは思えぬ。
 ――己の飯の問題であるから、きっと危機に陥りそうになれば、また、波武が嗅ぎつけて出てくるだろうし……。

「ま、いっか……」
 阿比は呟くと、夕闇迫る人ごみに紛れて行った。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み