神楽月 9

文字数 866文字

(もう……よい。お前と一指し舞えたことで、気が済んだ)
 
 ザワザワと音を立てて、黒い影が崩れていく。
 閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)が、……夥しい数の蟋蟀が、ぞろぞろと周囲に散っていく。

「待て! 鷹鸇! その赤子はどこから盗ったのだ? その赤子は、一体誰の子なのだ?」

 黒い影は、既に人の形を失っていた。
 小山のようになってザワザワと揺れる。

(……イ……リエ………)

 なんだ? ヒトの名か?

「鷹鸇!」

 終に黒い影は溶け堕ち、
 俺は茫然と立ち尽くした。
 真っ黒な閻魔蟋蟀の海に足元を洗われ、棒立ちのまま動けなかった。
 
 最後に残った人の心が……鷹鸇に武楽舞を舞わせたのか……。

 足元を見ると、閻魔蟋蟀の群れの中に青白い玉がコロリと埋もれていた。
 熱を持って疼く左手で拾いあげる。
 左の掌の上で、丹い光にあぶられた玉は青白い(がわ)をつるりと溶かした。

「これは……頭の骨か………」

 透明な膜に覆われた頭蓋骨は、泉門もはっきりとして俺の片手に納まっていた。

 鷹鸇は鳰を食んだ遠仁を抱えていたのだな……。

「哀しいヤツよの」
 琵琶を掲げ持った鸞が俺のそばまで寄ってきた。
其方(そち)は、コヤツに愛されておったのだなぁ……」
「……知らぬわ」
 自分でも抑えきれぬほどに、声が震えていた。
 怒りとも悲しみともつかないこの感情を自分でどう処理すればいいのか解らなかった。
 何故、何も話して呉れなかったのだ。
 鳰の肉を探していれば、遅かれ早かれ鷹鸇に辿り着いていたと思う。
 鷹鸇から聞かされる羽目になっていたのだと思う。

――もう遅い。全てが遅い……。
 
 そうだったのか? 本当に? 術はなかったのか?  
 ああ、でも、最後に生きた鷹鸇に会った時に、あの時に戻れれば……。

「悔いても詮の無いことであろう? これで、コヤツは精一杯生きたのだ」
 俺を見上げて鸞が言う。
「……そうであろうか」

が聞けたのであるから、良かったではないか」
「…………」
 まだ、そこまで思い至れない。
 
 霧は晴れていた。
 閻魔蟋蟀は、跡形もなく消えていた。

 そうだ。杉だ。
 雁の太刀にも、遠仁が宿っていたはずだ。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み