爪紅 9

文字数 679文字

「峠におったのか……入江」
 都は花簪を大事に抱えて蹲った。
 小さくなって震えている。

 繋がった。ここで……。
 入江というのは、娘の名だったのだ。
 鷹鸇が盗んだ赤子の母親。
 行方知れずになっていた都の娘。
 ということは、都は、鳰の祖母に当たるということか……。

「かの御子女は入江様とおっしゃるのだな」
 俺が呟くと、都は泣き乱れた顔を上げた。
「入江……だけであったのか?」
「え?」
「赤子は抱いておらなんだか?」
 
 俺は一瞬言葉に詰まった。
 都は、鳰の境遇を知らない。
 例え血縁であることが解ったとしても、今の状態で鳰は、都は喜ぶだろうか……。

「……お一人であった」
 俺はキッパリと答えた。知らぬことにしておくに越したことは無い。
「さようか……」
 都は肩を落としてさめざめと涙を流した。
「ああ、でも、入江は帰ってきてくれた。嬉しや……」
 再び花簪を抱き込んで小さくなった都は、そのまま糸が切れるようにすぅと倒れた。慌てて身体を支えるのと、侍女が悲鳴を上げて飛んでくるのが一緒だった。

 医術者を呼んで診てもらった。どうやら都は感情の波に揺さぶられて気が遠くなっただけのようで、皆、安堵した。都は床にのべるために担ぎ出され、拝殿はシンと静かになった。

 ふと見ると、床の上に都の棗が転がったままになっていた。
 拾い上げるとシャラと音がする。
 俺は鸞と目配せした。

 触れてはならぬ都の棗……その中身は一体なんだ?
 
 俺は固唾をのみ、そっと棗の蓋を開けた。
 中に入っていたのは、桜貝……と見えたが、違った。

 遺体から剥いだ子どもの爪に、綺麗に爪紅を施したものが詰めてあった。

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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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