乙女心と面目 8

文字数 669文字

「はぁ、阿比(あび)殿の(むご)いことよ。この期に及んで不味いものを喰らえと申す……」
 阿比の背中から、ヨボヨボと白髪もほつれた(おうな)が現れた。あなや、惨い惨いと言いながら暗がりの先へとヨロヨロと歩いていく。

「まっこと、(たち)が悪いのぅ……」
 阿比は眉間に力を込めて溜め息をついた。
――これでは私が(らん)をいじめているみたいではないか。

 媼の曲がった背が先の暗がりに消えたと思ったら、急に何かを引きちぎるようなブチブチという音がして、何かが阿比の足元に飛んできた。見ると、どうやら大きなカニの脚先のようなものだった。
 ついでに何やら生臭いにおいが漂ってくる。

――じめじめすると思ったら、ここは水場の近くであったか。

「うう……酷い様よ………」
 袖で顔を覆いながら、媼が戻ってきた。
「いや、鸞よ、大儀であった」
「労っても埋まらぬわ。恨むぞ、阿比!」
 袖ごしに睨みつける。
 阿比は苦笑いで返した。

「それ、両の鋏になんぞ抱えておったぞ」
 鸞が袖の上に抱えていたのは、プクプクした肉色の2本の棒。途中でくの字に折れている。おや、と、阿比の声が漏れた。
「これで手と腕が戻ったということか……」
 媼の様である鸞が、目を細めてソレを眺める。
「ああ、あの贄になった子の肉か。きっとまだあるぞ。臭っておる。お腐れはアヤツだけではない」
「まだ居るのか?」
 阿比は、目を剥いてあたりを見回した。
――かように遠仁が巣食っているとは、……ここは一体どこなのだ?

 鸞は自分の胸のあたりを片袖でさすった。
「儂ゃ、もう喰わんぞ。ああ、気が悪い。次行き会うたヤツは問答無用で食うてやりたいくらいじゃ」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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