借り 8

文字数 1,267文字

 武楽舞の退場である重吹(しげぶ)きが奏され、舞手が次々と舞台を回って裏手へと回ってくる。皆一様に疲労とともに安堵の相を浮かべていた。
 俺とすれ違った舞手の一人が、頭を下げる素振りをしたのが限られた視界から見えた。
 花鶏か……。
 俺も僅かに頭を下げた。

 一(しき)り続いた拍手とざわめきが潮が引くように遠のき、龍笛の音が響いた。
 やがて、太鼓と鉦の音に変わり、俺の出番となる。

 地を踏みしめるように舞台に上がり、四方を踏み、舞い踊りながら辺りを睨む。
 正面に、蓮角が座す天覧の桟敷が見えた。盃を手に不機嫌な顔をしている。
 先の武楽舞は頸の皮一枚ギリギリで御眼鏡に叶ったと言うところであろうか。

 音取りの間奏を背に、蓮角を眺めた。
 面越しに睨み合っていると思っているのは俺だけだ。
 背の高い恵まれた体格。三白眼気味の整った顔立ちは怜悧な刃物のようだ。
 無意識に、鳰に似たところを探していた。
 いざという段で迷いが生じないように。

 龍笛の音と鞨鼓(かっこ)が響いた。
 俺は左右を蹲踞(そんきょ)で踏みしめた後、左手の剣印で真っ直ぐ蓮角を指し示した。
 蓮角の眉間に僅かに力が入った。
 俺はひらりと身を交わし、(ばち)で円を描く。
 左右に袖を振り、
 地を踏みしめ、
 身を交わし、
 時々に蓮角を指し示す。
 その度ごとに、蓮角の表情が段々と険しくなるのを感じた。
 しかし、それ以上の動きは無く、『蘭陵王』の当曲が続く。
 
 主の舞を舞い終えて、退場の曲となる乱声(らんせい)に入った。
 舞の振りは自然に正面に背を向けることになる。
 左右に足を滑らせて地を踏む所作をしている時だった、背後に気配を感じて身をひるがえした。
 スタンッと音を立てて、舞台に矢が立つ。
 桟敷を始めとする客席から悲鳴が上がって騒然となった。
 俺は舞の振りでヒラリと振り返る。
 充血した目を見開いた蓮角が、弓を握りしめて桟敷に仁王立ちになっていた。

(うぬ)は花鶏では無いな! 誰だ!」

 蓮角の怒鳴り声に、管弦が止んだ。
 やはり、所作でバレるか。
 俺は舞の振りを納めて立った。

「誰だ! 面を取れ!」

 蓮角が二の矢をつがえたので、管弦の奏者がわっと叫び声をあげて楽器を抱え、我先にと舞台を下りた。
 これ以上迷惑を広げられても困る。
 俺は、(ばち)裲襠(りょうとう)の内に納め、ヤレヤレと面の紐を解いた。
 そう言えば化粧を落としていなかったな。髪も女髷のままだった。
 まぁ、今やそんなことはどうでもいい。
 面を外して蓮角を正面に見た。
 一瞬目を見開いた蓮角は、次第にうすら笑いを浮かべて俺を見詰めた。
「なんと! 白雀であったか! 俺としたことがぬかったわ! その成り、……確か雎鳩のところに居った娘御であるな! 通りで舞が上手いわけよ! 鷹鸇仕込みであればなぁ!」
 蓮角は弓を投げ捨てて、太刀を抜いた。
 周囲から悲鳴が上がる。
 桟敷の観客が一斉に立ち上あがり逃れ始めた。
 傍に居た家臣が慌てて縋りつくのを、蓮角は容赦なく蹴り倒し、桟敷の枠を跨いで俺に向かって歩いてきた。
「丁度良いところに来たわ! そこに居れ! 貴様の丹をえぐり出して、我が父上に奉じてくれる!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み