さえずり 1

文字数 1,168文字

「随分顔色がよくなったな」
 鳰の肺が定着した。滑らかな手先に温もりが宿るようになった。頬や唇に紅がさして、いっそう印象が華やぐ。梟が療を施してから数日後、施療室から出られるようになった鳰が、早速俺らに披露に来たのだ。
「あー!」
 鳰の口から、柔らかく高い声が出た。
「お? 声も出せるのか」
 俺が驚くと、鳰は頬を紅潮させてニンマリと笑った。
(まだまだ練習中です。発声と舌の動かし方を練習しているところなのです。今は、とりあえず皆さまのお名前が呼べるように訓練しているのと、簡単な日常会話くらいは話せるようになりたいなと思っております。濁る音と擦れる音が難しいのですよ。特に、白雀殿は両方入ってますから、最上級の難しさです。ちゃんと言えるようにしたいんですけど)
 俺の名前? そんなに難しいか? 眉間に皺を寄せて首を傾げていると、鸞が割り込んできた。
「ほう! では、吾の名はどうだ?」
「らん!」
「「おお!」」
 俺と鸞は、鳰に拍手を送る。鳰は、胸を反らせて得意げな顔をした。
「きょう!」
 うんうん、と俺と鸞は拳を固めて頷く。
「あ……」
 頑張れ! 鳰! 
鳰が一生懸命口の形を作る。
「……び」
「「おおっ!」」
 再び拍手。鳰は俺の顔を上目でチラリと見た。
「は……く……じ……じゅ………」
(駄目! 仕切り直しですっ!)
 鳰は一旦深呼吸をしてから、再度挑戦し始めた。
「は・く・じや……」
(んもー!)
 鳰はイライラして両こぶしを握った。
 こちらも無駄に力が入って固唾を飲む。
「は・く・じゃ……く!」
「「ほぉ……」」
 今度は鸞とともにため息が漏れた。
「なぁ、主の名前、面倒だからしばらく『はく』で良いのではないか?」
 鸞が俺を見上げる。何故か鳰がプスンとむくれた。
(面倒では無いのです! 難しいだけです! 名前を面倒などと言っては失礼です! 私が未だうまく言えないだけなんですから、ちゃんと練習するので甘やかさないでください!)
 あまりに一生懸命なので、ついつい俺の口元が緩んでしまった。目ざとく見つけた鳰が、目を剥いて抗議し始める。
(ひどい! 白雀殿、笑わなくとも良いではないですか!)
「いや、これは、鳰が可笑しくて笑ったのではない。あまりに……その、()ましくてな……」
 相好が崩れるのを隠し切れずに俯いたが、肩が震えるのは抑えきれない。
(「笑ましい」ってなんですか? もー! ヒトを見て笑うなんてやっぱり失礼じゃないですか!)
「鳰の仕草を見ておると、微笑みを禁じ得ないのだよ。それが失礼と言うのであれば、もう、失礼でもなんでもよいわ」
 俺は開き直って、頬を赤らめて憤慨している鳰の頭をポンポンと優しく撫でた。
(はぁー? 今度は子ども扱いですか? ひどい! やっぱり、白雀殿はヒドイ!)
 拳を固めて頬をふくらませる鳰に、今度は鸞もたまらず噴き出した。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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