入れ子 7

文字数 1,152文字

 冷たい水で顔を洗い、なんとか見られる様になったはずだ。
 鸞と鳰が施療室を辞してから、俺は梟の元へと行った。鳰への施療の次第を確認しておきたかった。

「肺が付くと、大分動けるようになる。顔色も、もっと良くなるであろう。舌の方は訓練が必要な分、使いこなすのに時間がかかりそうだ。喋ることも中々複雑な動きだが、咀嚼、嚥下する能力も獲得せねばな」
「まるきり赤子からやり直すようなものだな」
 梟の話を聞きながら、俺は溜息を付いた。
「まぁ、……もともとがあのお喋りじゃ。思うように話せるようになるには、相当苦労すると思うぞ。歩けるようになるまでも……大変だったがの」
 俺の前では、あんなに屈託なく過ごしているが、きっと俺に見せるために必死の努力を重ねてきたのであろう。鳰自身も……俺に語れぬことがあるのだな。

「終いになった心臓だが……これまでとは勝手が違う者が抱えているらしい」
 波武が何年かけても攻略出来なかった相手だ。
「遠仁ではないのか?」
 梟が眉間に皺を寄せて俺を見る。俺は、梟とは視線を合わせずに首を横に振った。
「神に近いものらしいよ。『夜光杯の儀』の贄を受けるモノらしい」
「そのようなもの、……相手に出来るのか?」
「するのだよ」
 鳰のために。
 伯労のために。
 ただ闇雲にぶち当たるのでは能が無い。ここは、波武と共に策を練らねばならぬ。鬼車がいるはずの洞穴を、鸞と俺があれだけ探して見当たらなかったのだ。影向の甲羅にも反応が無かった。きっと、なにかカラクリがあるのだ。

 ふと、己の掌に視線を落とした。
 俺は、既に死んでいるという。 
 何度も見た暗闇と光の網のイメージは、多分、あの世との境だ。
 夢に見た多くの人々は、俺があの世に送り届けた者らだ。
 俺は、久生でもないのに久生のように魂を送る存在になっていたのだ。俺にとっての肉体は、俺と現世を繋ぐモノでしかない。
 鸞は、伯労の考え通りにそのことを知っているのだろうか。

「ところで、梟殿。俺は、ある筋から鳰は鵠殿の血縁であるとの確証を得た。鵠殿自身から言質を取れぬであろうか」
「は? 鳰は……国主殿の血縁であるのか?」
「侍医として、鵠殿の元へ参じるのであろう?」
「それは……そうだが……」
 梟は狼狽えた。
 鵠に、お前は自分の孫を神の贄に捧げたな、という言質を取れということなのだ。生半(なまなか)なことではない。
 それだけではない。
「仙丹の研究を梟殿に命じたのは、鳰を奉じての『夜光杯の儀』に失敗したからよ。そもそも、鵠殿は自身の不老不死を(こいねが)っておったらしい」
「なんと……」
 梟は目を見開いたまま色を失う。俺は淡々と話を続けた。
「俺が鳰の肉を集め始めたのを見て、これ幸いと、全き姿にした鳰を再び神に奉ずる気でいたらしい冷血漢だ。寿命を縮める勢いで責め立てても心は痛まぬよ」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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