銀花 5

文字数 1,138文字

 夜。
 月影を返す雪は、辺りをぼんやりと照らしてほんのりと明るい。空気は刺すように冷たいのに、明かりは柔らかい。雪というのは、不思議なものだ。
 積み荷と馬を並べて風避けにして、その脇に3人が蹲れるだけの雪洞を掘る。入口に菰を被せた。幸い吹雪かなかったが、この調子なら明朝はうんと冷えると企鵝は言った。快晴の朝は殊の外冷えるのだそうだ。簡単に腹ごしらえをしてから、防寒具に埋もれるようにして雪洞に蹲った。
 明日は、いよいよ湖沼に着く。

――……ふん……ふふん……
 
 夜半。
 どれくらい眠った後だったか解らぬ。
 誰ぞの鼻歌に目が覚めた。
 一瞬鳰を思った。否、鳰であるわけが無いが…………。
 企鵝の……寝言では、ないな。目の前で顔を俯けて寝入っている企鵝は、穏やかな寝息を立てている。
 では、これは……? 
 雪洞の菰をめくった。鼻歌が一層はっきりと耳に届いた。
 子守歌か……。

「白雀、どうした?」
 後ろから鸞が囁いた。
 鸞も、目が覚めたらしい。
「歌が、……聞こえる」
 鸞も、耳を澄ます。
 目を見開いて俺を見た。
「幽霊か?」
「いや、これは……遠仁だ」
 俺は左手を握り込んだ。左腕がジワジワと熱を持っている。
 鸞は首を傾げた。
「そうか? お腐れの臭いはせぬぞ?」
「俺の左腕は、コイツは喰えると言っている」
 そっと、頭を突き出して左右を見る。
 先の立ち木の間で人影が動いた。
 僅かに左右に身体を揺らしながら、鼻歌で子守歌を奏でる長い垂髪の女子(おなご)……。雪の上を移動しているのに足音がしない。やはり、ヒトではないものであると知れる。
 俺は雪洞から這い出した。
「もし!」
 人影に声を掛ける。
 鸞が、何をしておる! と慌てて俺の袖を引いた。
 俺は目顔でそれを制して、立ち上がった。
 人影が、女子が振り返る。企鵝の言うとおり、おくるみにくるまれた赤子らしきものを抱えていた。
「こんな夜更けに、何をしておられるのか?」
 俺が問うと、女子は首を傾げた。

――吾子が……泣くのでございます

「夜泣きか……切ないな。主は一人で見ておるのか」
 女子は、まぁ、と儚げに笑った。
 俺より幾分年下かと思われる若い女子だった。

――お優しい言葉を……ありがたく存じます
――生まれ落ちたばかりであるのに、毎夜毎夜
――何をそんなに悲しいことがあるのでございましょう
――このような小さな体で、何をか訴えたいことがあるのでしょうな

 腕の中の赤子に視線を落として、女子は優しく微笑んだ。

――貴殿も、我が子を抱かれますか?

 女子の言葉に、鸞が俺の袖を引きブルブルと顔を振る。
 解っておるわ。
「其方は、何故(なにゆえ)かような人里離れた山奥に居るのだ? 名は何と申すのか?」
 俺の問いに、女子はスンと真顔になった。

――はて……
――私は誰にございましょう
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み