磯の鮑 16

文字数 1,074文字

 俺の左手に残った鳰の肉は掌に握り込めるほどに小さなものだった。これは一体どこの部位なのやら。首を傾げていると、鸞が俺の肩に手をかけて伸びあがるようにして顔を覗き込んだ。
「主、なにやら随分と倒錯した成りでおるなぁ」
「う……」
 女装が、バレた。
 鸞が艶然とした笑みを浮かべると、俺の唇を指でなぞる。
 烏衣に喰われるかと思ったら、このまま鸞に喰われるパターンか?
 次に起こるであろうことを予測しながら、俺はその場で動けずにいた。
 濡れて崩れた女髷に指を絡ませ、鸞の紅い唇が俺の口に重なる。
 甘美な痺れが身を貫き、心臓が跳ねるように脈打つ。
 ……と、鸞がハタと目を見開いた。
 ゆっくりと身を引き、何か、意外なものを認めたかのように顔をこわばらせて俺の瞳を覗く。
「どう……した?」
「あ……いや」
 鸞は目を逸らせると、俺の左手をジッと見た。
「此度は、何を手に入れた?」
「あ、ああ、それがな……」
 歯切れの悪いモヤモヤとした空気の中、俺は手の中のモノを鸞に見せた。
 鸞は、ちと眉間に皺をよせ、そうか……と小さくつぶやいた。くるりと俺に背を向け、主も衣を整えよ、と素っ気ない。
 いかにも、不可解だ。
「鸞?」
「マジで喰うぞ! こら!」
 俺の問いかけに、鸞は俺に背を向けたまま叱責で返した。取り付く島も無い様子に、俺は追及をあきらめて、部屋の隅に畳んで置いてあった俺の衣に手を伸ばした。

「烏衣は、どうなるのだ?」
 謎の小部屋を出てから、俺は左右を見た。
 宴会の喧騒の方に向かえばよいか。俺は身をひるがえした。
「アヤツを動かしておったのは遠仁よ! 目が覚めた後はしばらく混乱していようが、憑き物が落ちた様になるであろうな!」
 後ろについていた鸞は、童子の様に戻っていた。
「ってことは、俺は追いかけまわされなくて済むということか」
「おそらくは!」
 鸞の答えに、俺は安堵の溜息を付いた。
「主、しばらくはその成りか?」
 鸞は俺の女装を言っている。
「あ? ああ……」
 そういえば蓮角の目も欺かなくてはならぬのだった。幸い、貴奴は俺のことに気付いた風もない。
「乳が盛りすぎなのは、誰の趣味だ?」
「それは知らぬ! ……多分、肩幅を誤魔化す為だ」
「ほう! それは頭が良いな! 案外と似合うておる!」
「……」
 それは誉め言葉か?
「ところで、鳰は?」
「ああ、今は静養に入っておるよ! 予定では、秋口まで動かせぬそうな!」
 そうか。それまでに、残りの肉が手に入ればよいな。
 廊下が、見覚えのある景色に繋がった。俺はどれほどの時間拘束されておったのやら。雎鳩らが心配しておらぬとよいが……。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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