神楽月 1

文字数 529文字

 遙に城下を見下ろす山の端に立って、俺はようやくと安堵の溜息をついた。雎鳩(しょきゅう)の「さっさと引っ込んどけ」は決してただの悪態ではなかった。どこから嗅ぎつけたのか蓮角の手が一気に回った。俺は琵琶を回収して街道の裏道を回り、今こうして城下から離脱している。

「きっと、あの式部の姫経由であるよ」
 (らん)は草の穂を振り回しながら言った。
「雎鳩は……大丈夫であろうか」
 あの蓮角が大丞家に何か圧力をかけねばよいが……。
 鸞は足元を跳ねていく虫を見つけて追いかけ始めた。
「大丈夫だろう。さしもの蓮角も、非の無いモノをどうこうはできぬだろう? それに、あの

なればきっと跳ね返すわ!」
 まぁ、良家の子女に無体を働くとは思えぬが……。

「で、どのルートで施療院に戻るのだ?」
 お! 捕まえた、と鸞は手にした虫を俺に差し出した。
 閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)だ。屍を食む虫。そろそろ寒くなる時期であるのに、未だ生きておったか。健気なことだ。
「そうだな……」
 追手を巻くために反対側の木戸から出てきた。城下に沿ってぐるりと戻るよりも、一旦山を下って麓の村に寄るか。
「宿場へ行くよりも、村に回る方が目につかぬだろう。山を下るぞ」
「そうか。初めての道だな。楽しみだ」
 鸞は蟋蟀を放つと、ニコッと笑って俺を見上げた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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