磯の鮑 13

文字数 1,113文字

 一指し舞うとさすがに汗が流れる。舞台を降りて、水恋(すいれん)と一息ついていると、縁台の隅で介抱されている男とそれに付き添う2人ばかりの家人(けにん)の姿が目に入った。あらまぁ吞み過ぎたのか、と何気なく見ていて、はたと気が付いた。介抱されているのは……。
花鶏(あとり)か……」
 懐かしさに、つい、ジッと見ていたら、あちらも俺に気が付いたようだ。フラフラと歩み寄ってきたのに、バレたのか? と身を固くしていると、花鶏は俺の前に膝まづいてオイオイと泣き出した。 
「何か? 泣き上戸か?」
 水恋も目をパチクリさせて花鶏を見下ろす。俺は、水恋に耳打ちした。
「俺が隊にいた時の後輩だ。ちと介抱してやるから、雎鳩の元に先にもどっておれ」
「ああ、解った」
 水恋は戸惑いつつも了承した。俺は舞装束を脱いで水恋に渡すと、蹲る花鶏に声を掛け、引き起こした。家人から水差しを受け取り、宴の喧騒を離れて庭の奥の曲水のところまで花鶏を連れて行く。花鶏は始終しゃくりあげるように泣いていた。なんぞ辛いことでもあったのかと心配になる。
「少し、飲み過ぎたか」
「ああ……いや、……その…………」
 花鶏は自分の袖で顔を拭った。
「其の方の舞を見ておったら、思い出して……。舞の上手かった、兄貴分を。……その……無礼になったら申し訳ないのだが、……所作が似ておられたのだ。つい、懐かしさと寂しさで涙が……」
 花鶏はそう言って、また、オイオイと声を上げ始めた。
 ああ、そうか。見かけは誤魔化せても、仕草は意識できても、長年親しみ覚えた舞の所作までは変えようがなかったのか。花鶏は、大分酔っているようだ。これなら、明日には記憶も曖昧になっているだろう。
「泣くなよ、花鶏」
 俺の声に、花鶏はハッと顔を上げた。コヤツはいつもこのパターンだな。
「俺だよ。白雀だ」
「あ……え………。でも、……」
 花鶏の視線が俺の胸元をウロウロとした。俺は短く溜息をつくと、立衿の留め具を外し、胸元を開いて贋の乳である皮袋を取り出してみせた。花鶏は、目を丸くして俺を見詰める。
「なんで……?」
 俺は口端を歪めて鼻の頭を掻いた。そこんとこの説明は難しい。
「まぁ、話すと長くなるがな。俺は楽しくやってるから案ずるな。いつまでも施療院に引っ込んで鬱々してる訳じゃないさ。主がそんなにメソメソしておっては俺が心配する」
 花鶏はパアァと顔を明るくすると俺に抱きついた。そしてまた、オイオイと泣き出した。全く、コヤツは……。
 俺は衣を整えると、幸せそうな顔をして寝てしまった花鶏を抱えて宴会会場へ戻った。式部の家人に、花鶏を預ける。
 やれやれと一息ついて、雎鳩の元へもどるかと踵を返した時、頸の後ろに衝撃を感じ、目の前が真っ暗になった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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