堕ちた片翼  1

文字数 923文字

 しばらくは、何事もなく過ぎた。
 実のところ、何事もなかったわけでは無いが「遠仁(おに)も蛇も出なかった」という意味で、だ。
 (にお)の目が二つ揃ったところで、面に穿った穴はそのままなので見た目に変化はない。ただ、鳰自身には、なかなかに劇的な変化だったらしい。
 生活が快適になるのは良いことだ。

 そろそろ豌豆が終わりになる。次は何を植え付けようかと畑を耕している頃に、ソイツはやってきた。

 俺より拳一つ丈のある、体格の良い男。(きょう)から客人だと言われて貴奴の顔を見た時、正直、何のために来たのか分からなかった。
 昔から計算高い奴だった。自分の出世のために付き合う相手を選ぶタイプだ。旧交を温めようにも俺と交わって得る益はないはずだ。

「久しいな、白雀(はくじゃく)計里(けり)から、ここに居ることを聞いたのだ」
 顎を上げて人を見下ろしながらしゃべる癖も変わらない。
「ほう。元気そうで何よりだ、鷹鸇(ようせん)。泥を落としてくるので中で待っていてくれ」

 庭の隅の水場で手の泥を落としていると、鷹鸇を家へ引き入れた梟が新しい手ぬぐいを持ってやってきた。
「どういう客なのだ?」
「仕官時代の相棒だった奴だ」
 俺は淡々と答えた。

 家柄の格で言うと、貴奴の方が上だ。
 後ろ盾や家柄の釣り合いではなく、実力で組まされた相手だった。
 相棒とは名ばかりで、貴奴にとって俺は目ざわり以外の何者でもなかったはずだ。戦の切り込み隊では互いの背中を守るはずだった。まぁ、実戦でどうなるかなんて誰にもわからない。だから、結果がこうでも貴奴を責める気は無かった。情深い計里ですら俺が死んだと思っていた節があるのだから、貴奴が俺の消息すら当たらなかった不義理も何とも思わなかった。

 ただ、……今ここにきた目的が解せぬ。

「そうか。武人なのだな。いや、……部屋に引き入れても長物を置かないので何かあるのかと」
「俺を切りに来た奴なのかと思ったか?」
 俺がフッと笑ったので、梟はギョッと目を剝いた。
 真っ白な手ぬぐいを受け取ると、俺は右手を拭いた。

「ゆるせ……戯言だ。貴奴はそういう自分の得にならないことはしないヤツだ」
「いや、もし得になるのだとしたら?」
 思いつめた様子の梟に、今度は俺の方が驚く。
 そんなに、剣呑な雰囲気だったのか? 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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