乙女心と面目 12

文字数 1,424文字

「そこな女子(おなご)にも文句を言ってやりたいがな!」
 童子は雎鳩に目配せした。
「とりあえず今はコイツが先だ! 蜘蛛は主にくれてやる! 美味しく召せよ!」
「味までは解らぬわ」
 俺は話しながら左腕の包帯をほどいた。
 既に左腕は熱を帯びて脈打っている。

 天井の蜘蛛がカサコソと動いて一気に雎鳩の元へと移動して行くのが目に入った。糸を吐かぬ跳び蜘蛛の類か。交喙(いすか)は激高して、(らん)に向かって刀を振り回し始める。

 ええい! 邪魔だ!

 交喙の向こうに雎鳩がいるので、俺は大きく迂回して雎鳩の元へと走った。
 蜘蛛の方が先に雎鳩に取りついた。が……
「なんと! 邪魔をするな! のけ!」
 何やら雎鳩に向かって腹を立てているようだ。
 よく解らぬが隙が出来た。
 これ幸いと左の拳を蜘蛛に向かって突き出した。
 俺を見た雎鳩が、ハッと目を見開く。
 取りついていた蜘蛛の足を掴んでもがき始めた。
 それをきっかけに蜘蛛が俺に気付く。
 蜘蛛の脚が僅かに緩み隙間から雎鳩が、素早く逃れた。
 俺は左の掌を開いた。丹い光が広がって蜘蛛を照らす。
 俺の後ろで交喙のものらしいギャッという叫び声がしたが、振り返る(いとま)はない。

 さあ、喰ってやる。

 蜘蛛の姿が布を絞るようにグニャリと中央に歪んだ。
 丹い光が増し、蜘蛛は引き絞られた姿で俺の掌へ勢いよく吸い込まれた。
 ドンとぶち当たる感触を押し返す。
 腕から肩へ、そして体中を駆け巡る熱。

 ああ、この後俺は、蜘蛛を吐くんだ。
 つい、諦めに似た呟きが漏れる。

 掌にふわりと何かがふれた。
 それをやさしく握ると、丹い光は消えた。
 手にした何かを懐に入れ、俺は雎鳩に背を向けて腹の中身がこみ上げてくる前にとにかく外に出ようと踵を返したが……
「う……ぐっ」
 目の前の光景に、俺は茫然として足が止まってしまった。
 床に伏しているのは交喙だったものだ。カエルがつぶされたような姿勢で床にぺしゃんこになっている。
 爆ぜたようになっている頭のそばで童子が……鸞が座り込んでショリショリと梨でも()むように何かを食べていた。

「ん? そっちは終わったのか?」
 呑気に無邪気な目をこちらに向ける。
 幼子が果汁で口の周りを汚しながら水菓子を食むように、紅葉のような手やぷっくりした頬を血まみれにしてモグモグと口を動かしている。
 鉄さびに

酸味と甘さを足したような生暖かい血のにおいが充満していた。

 俺はたまらず膝をついて、喉をついてこみ上げてきたものを、そのままオロオロと吐き出してしまった。梅の実ほどの大きさの蜘蛛が、次から次へと俺の口から吐き出される。なんかもう……今回は勢いだった。
 数々の戦場で多少の陰惨な光景を見た覚えもあったが、心の準備もなく予想外のものを目にするのはキツイ。

 鸞は、とうとう喰い終えたようで、満足気に口の周りをペロリと舐めた。
「やはりもぎたてはよいの!」
「何……喰ってんだ」
 俺はようやく落ち着いて、鸞を問い詰めた。 
「お主らの言うところの『魂』というやつだ! 今日はたんともぎたてを食わしてもらったから、気分が良いぞ!」
「お前ってやつは……」
 久生ってやつは……。
 俺はしゃがみこんだまま動けなかった。 
 童子はみるみると成長して麗しい()の子に変化した。
 まみれた血が、溶けるように消えていく。
 睫毛の長い潤んだ目が俺を覗き込み、白く細い指が、絹の袖で俺の口元を拭った。

「うふふ。これで、白雀は確保」
 花のような笑顔を向けられ、俺は芯から胆が冷えた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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