ましらの神 8

文字数 1,160文字

「禁足地って、なんだ?」
「どうやら、御館様側が先に約束を反故にしたっぽいぞ」
 俺と鸞は、またコソコソ話をする。

「先程からなんだ? 其の方ら、全くと緊張感がないなぁ」
 半ば面白がる(あく)の主の声が降ってきた。一方で、護衛たちは気の毒になるほど渥の主の挙動に緊張している。渥の主は、そんな護衛たちの怯えを見てとって、手をひるがえした。御館様の左手に控えていた護衛の首に鋭い風が走り血飛沫が飛ぶ。うめき声をあげ、首を押さえて蹲った仲間に、他の護衛が浮足立った。
「私は、そこの男と話がしたい。無駄な賑やかしは去ね」
 渥の主の言葉に、護衛たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。御館様が、おい! 主ら! と呼び止めるが、誰一人残らなかった。

「ほー、見上げた忠誠心だな」
「普段からの言動が透けるな」
 俺と鸞のボヤキに、渥の主はカカと笑った。
「其の方ら、面白いな。どう料理してやるかは後で考えてやるからここに居れ」

 どうやら渥の主はただ闇雲に動いているわけでは無いらしい。ことの顛末に、普通に好奇心が沸いた。渥の主は、御館様を見据えて語りだした。
「私らが住処とする『渥地(あくち)』は古来から私らの餌場として禁足地にしていたもの。ところが貴様が、この春婚礼を控えておったこの子女の引き出の馳走にするために、渥地の魚を大量に取ったな? そのために、この冬、私の眷属が飢えることになった。飢えて窮した眷属が、誤って

の子に手を出した。もともと、山の者には手を出さぬ契約で、私たちは渥地を得たのだ。当然、マサルと諍いになった。私の妻はそれで命を落とした。全部、貴様の所為であるぞ!」
「そ、そんな……」
 御館様は茫然と立ちすくんでいる。

「はい! はいっ! 質問! ちと確かめて良いか!」
 鸞が手を上げて発言した。
「そも、何故、禁足地とかの魚を取ったのだ? ヒトの領域ではないであろう?」 
 渥の主の醸す緊張感と、こちらの緊張感の無さと。
 御館様は戸惑いながら答えた。
「今年の川魚は、何故か育ちが悪かったのだ。それで……渥地(あくち)のまるまると太った鱒を……。確かに、あそこらに(かわうそ)が棲まっていることは知っておったが、まさか(あやかし)までおるとは……」
「浅はかよのう! いい年して禁足地の意味も知らなんだのか!」
 鸞がすかさず突っ込みを入れた。
 御館様は、取り乱して反論する。
「そ、そんな古い言い伝え! 世迷言であると思うたのだ!」

「ふん。愚かなり」
 渥の主は吐き捨てるように言うと、掻き抱いている子女の髪を撫でた。
「で、我妻の代わりに、貴様の子女を戴いたというわけよ。御蔭でどうやら、我が子を孕んだらしい」
 御館様は、目玉が飛び出んばかりに見開いた。
 わなわなと身体を震わせ両膝をつく。
「何と! 妖の子を!」
「無事、我が子が生まれた暁には、貴様の罪はチャラにしてやるわ」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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