釣瓶 3

文字数 857文字

 冬の日暮れは早い。
 雪催いの日は太陽の位置もはっきりしないので、傾いたのかと思う頃には底冷えが来る。そろそろ、庵が目に入ってもいい頃だがと気が(はや)る。
 些か心細さを覚えていると、己ら以外に雪を踏む音を聞いて、鸞と目配せした。獣ではない。
 立ち止まって周囲を見渡すと、山肌の傾斜をゆっくりと登ってくる人影がある。明らかに山道を外れている風であったので、難儀をしているのかと思わず声を掛けた。

「もし! そこなお方、いかがされたか?」

 頬かむりをしているので顔はわからぬが、小柄な体格がふと足を止めた。
 手に木桶を抱えているのが目に入った。

「旅の御方か?」
 帰ってきたのは、些かしゃがれた女子の声だった。はて、かような言葉が返ってくるということは、ここらに住まう者であったか。
 早合点で声を掛けてしまった。
「すまぬ。難儀をしているようにお見受けしたもので……」
「優しきお方であるな。この先の庵まで行かれるのか? よろしかったら我が家にいかがか。大したおもてなしも出来ぬが、庵よりマシな普請であるよ」
 ただの行き会いであるのにそこまで甘えても良きものかと躊躇(ためら)っていると、鸞が答えた。
(なんじ)の家はこの近くであるのか? さすれば、甘えようぞ。今宵の寒さは格別厳しそうな」
 え? と鸞を見下ろすと、鸞は黙って懐を撫でた。
 反応があったのか。
 さりげなく鼻にも手をかざす。
 俺は眉間に皺を寄せた。
 俺にはわからぬ。

「ああ。我が家はこのすぐ先ぞ。案内(あない)いたそう」
 山道まで登ってきた女子はこちらに顔を向けた。
 雪の明かりでほんのり覗いた顔は、声とは裏腹に三十路あたりの女子と見えた。
 何故か俺の顔をジッと見詰める。
 何か付いていたかと頬に触れてみた。
 あれ? 無精髭が気にさわったか? 
 女子は肩をすくめてクスリと笑うと身をひるがえして先を歩いて行った。

「貴奴は、主が的のようだからの。心していけよ」
 鸞が囁いて俺の前を歩いて行った。
 心して……と言っても、何をどう気を付ければいいんだ?
 俺は内心首を捻りながら2人の後について行った。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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