爪紅 6

文字数 904文字

「あの(おうな)からは何も聞き出せないのではないか?」
 疲れた顔で鸞が言う。
 確かに、恍惚の人となられた都の言葉には惑わされるばかりだ。
「歳を()ると、新しき記憶は直ぐには身に付かないのだ。だから、都様は、鸞の名前も顔も記憶に留めることが難しい。でもな、昔の記憶は鮮明に残っておるものよ」
 
 俺は、拝殿の奥、黒く静まる湖沼の面に視線を定めた。

「何か、気にかかったのか?」
「ああ……」
 鸞に向き直る。
「新嘗祭の『蘭陵王』の舞手は、俺の記憶にある限り毎年のように鷹鸇(ようせん)が勤めていた。都様は、『蘭陵王』の舞手は美丈夫であったと言っていたな? 鷹鸇は……見目麗しいというより、何と言うか……

相貌であったのよ。それぞれの部分が大作りというか、どちらかと言うと暑苦しい……。まぁ、俺の印象だからな、悪口ではないぞ」
「いちいち気にするなよ! それではその、鷹鸇とやらより更に前の話ということではないのか? 都様はご高齢であるし最近の話ではないかもしれぬ」
「鷹鸇の前任は、舞手のご指導を下さる弓組の隊長であったそうだよ。その御方も永らく勤めておられたそうだが、はっきり言って、面で隠れているのが幸いなほどの醜男であった」
「目上であろうに! そこは気にせぬのか?」
「都様は、一体誰のことを言っているのかと思うてな」
「都様はくどい顔が好みであったということは無いのか?」
「いやぁ……鸞を見て『可愛らしい』と言う感性の女子だったら、それはないと思うぞ」
「いやぁ、小さければ皆カワイイという向きもあるぞ!」
「鸞は……俺の気がかりが

と言いたいのか?」

 鸞は、明後日の方を見てポリポリと頭を掻いた。

「そうは思いたくないがのぅ……。思い違いかもしれぬし、これという確証が何一つないではないか」
「ふむ。……そう言われれば痛いなぁ。せめて、いつの新嘗祭の話であったのかが分かればよいのだが」 
「のう! 白雀!」
 パッと顔を明るくして鸞がこちらを見た。
「ん?」
「昔の記憶がはっきりしておるのだったら、訊いてみて損はないかもしれぬぞ? 舞手の名前を覚えておるかもしれぬ!」
 新しい名前は身に付かずとも、古い名前は鮮明に残っておるやもしれぬ。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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