千里香 1

文字数 1,243文字

 それにしても体が熱い。何故だ? 遠仁を喰いすぎた所為か? 
「どうした? 顔が赤いぞ?」
 鸞が訝し気に俺の顔を覗き込んだ。
「そうか。確かに、ちょっと……」
 言いかけて、ぐらりと視界が歪んだ。
「ああっ! 白雀!」
「だっ、大丈夫かっ!」
 鸞の後ろから、木々須が顔を出した。
 あ……、鯉は、届いたのだろうか……。
 そこで、意識が途切れた。 

 聞き覚えのある鼻歌が聞こえた。
 (にお)だ。
 厨にいるのか、それとも菜園か。
 そういえば、耳を付けたのだったな。
 手が付いた時もあんなに感動しておしゃべりになったのだ。耳が付いたら、さぞかし賑やかだろうな。あんなにしゃべり散らしては、聞きたい音も聞こえまい。
 そうだ。俺の声を聞きたがっていたな。
 最初は何を聞かせてやろうか。やはり……
「鳰!」
 あ……。
 目が覚めた。鼻歌は、まだ聞こえている。
 ここは? 
 起き上がり、天井、設えを見回して宿屋ではないことを確認した。
「お! 起きたな?」
 衝立の蔭から鸞が顔を出した。鼻歌の主は、鸞であったらしい。
「此処は、両替屋の奥座敷だ。主は高熱を出してぶっ倒れたのよ。主人の御厚意で宿屋に抱えていくよりも、と、ここに置かせてもろうたのだ」
 鸞は俺のそばに来ると、額に手を当てた。熱は下がったな、とニッコリ笑う。
「俺は……」
「丸一日寝ておったよ。たいそう汗をかいておった。この後、湯屋に行くか? では、御厚意に礼を言って、一旦宿屋に戻らぬとな。また湯帷子と綿入れを借りよう。あ、回収した肉は、荷物と共に宿屋に預かってもらっているから心配はいらぬよ。それでな……」
「ちょっと、……ちょっと待った、鸞」
 鳰が乗り移ったかと思うようなおしゃべりに、頭がついて行かぬ。
 俺は鸞を手で制した。
「俺は一体どうなっていたのだ?」
 鸞は目をパチクリさせた。
「どうもこうも……主だって自覚が無いわけではあるまいに。要は喰いすぎよ」
「遠仁を?」
「そうよ。琴弾が数年間ため込んだ遠仁を一気に吸い込んだのだ。縁結びの時と比ではない数よ。それは丹がいつも以上に熱を帯びようというもの」
 そういうわけか。
 案外、鸞が俺の体調を心配していない風だったのでがっかりする。もう少し気にかけてくれていても良いものを……。
「何をあからさまに落ち込んでいるのだ?」
 鸞は顔の至近でニコリと笑うと、俺の額に優しく口づけた。
「主はどうにもならんと解っておるので、無駄なことはせぬだけよ」
 胸元の甘い(かざ)が鼻をかすめ、柄にもなく胸がドキリとした。
さりげなく身を引いて、鸞を上目にとらえる。
「まるで、俺の心配をするだけ無駄、というように聞こえるが?」
「あれ。そこまで酷いことは言うておらぬだろう? 

が過ぎるぞ」
 俺の照れを見透かすように、鸞は(いたずら)っぽい笑みを浮かべると、俺の頸っ玉にかじりついた。
「それでな、あの、白いひものようなものは髄よ。神経と呼ばれるものだな。あと、……

つながりでアレだが、主、湯屋に行ったら無精髭をあたっておけよ。チクチクしていかん!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み