銀花 6

文字数 769文字

――気が付いたら、私はここにおりました

「共に子育てをするはずの夫はどうした?」
 俺は更に畳みかけた。

――いずれに……おるやら分かりませぬ

 女子は赤子を胸に掻き抱いたまま、オロオロと辺りを見回した。俺の言葉に、今更気が付いたという風で前後もなく取り乱している様が、なんとも(あわ)れを誘う。

――私はどこからきたものやら……気付けばここで……吾子を……

 胸に抱いた赤子に視線を落として、女子はハッと目を見開いた。
 胸に抱いたおくるみがハラハラとほどけて腕から零れ落ちた。
 枝から零れ落ちる雪の塊のごとく、腕の隙間からバラバラになって崩れ、やがて女子は空を掴む様になった。

――吾子は?
――吾子は……どこ…………

 女子は髪を振り乱して辺りを見回す。

――吾子は?
――確かに……確かに抱いておりましたのに……どこに……

 顔を覆い、胸をかきむしり、雪の上を滑るように右往左往する。
 さしもの俺も予想外の展開に目を瞬くしかなかった。
 後ろに隠れて様子を窺っていた鸞も、眉間に皺を寄せて、何が起きたかと訝っている。

――主らは知らぬか? 吾子を知らぬか?
――ああ! 吾子は! 吾子はいずこに…………

「既に……召されておるよ」
 俺は静かに答えた。
 取り乱していた女子がピタリととまり、涙に濡れて乱れた面をこちらに向けた。

――既に? ……召されたと………?
――ならば、私はどうして此処に……

「さて、それは知らぬが……其方はどうする? お子と一緒の場所に行くか?」

――吾子の場所に…………

 女子はそっとこちらに手を伸ばした。
 俺は、丹く燃える左手を差し出す。
 女子の姿は俺の手に吸い寄せられるように吞まれていった。
 消える瞬間、…………女子が微笑んだような気がした。

「……何……だったのかの?」
 鸞が、呟いた。
「さあ……俺には解らぬ」

 俺の左手には、薄紅の花簪が残った。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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