爪紅 8

文字数 1,224文字

 翌日は、しんしんと雪が降っていた。
 まさかと思っていたが、やはり都は来た。傘に積もった雪の具合から、都の住まいは屋代からさほど遠くはないのだと察した。それでも、雪深い中、片や媼である。楽な道行ではない。
 侍女は慣れた様子で玄関先で雪を払っているが、苦労がしのばれる。

 拝殿まで都に付き添っていた鸞が、血相を変えて戻ってきた。
「白雀! あの媼! 子守歌を歌うておるぞ!」
「ん? それが……何か?」
「鈍いな! 峠の女子と一緒なのだ!」
「えっ?」
 脳裏に、赤子を抱いて鼻歌で子守歌を奏でていた女子の顔が浮かんだ。
「いや、でも、子守歌なぞ女子なら誰でも知っておろう?」
「いーや、ダメもとで訊いてみよや!」
 鸞は俺の手を引いてずんずんと拝殿へ戻っていく。
 途中、ああ、ちょっと待った、と屋代からあてがわれている部屋へ行き、柳行李(やなぎごうり)に納めてあった桜貝の花(かんざし)を取り出した。かの女子と縁のある者であったのなら、この簪に覚えがあるかもしれぬと思ったのだ。

 拝殿へ行くと、まず、後ろ姿の都が映った。
 (はや)る心を抑えつつ入口に控える。後から馳せ参じた侍女が、何事かと俺らを見た。
 
 ふん……ふふん……
 
 幽かに聞こえる歌声に、な? と鸞が俺の顔を見た。確かに、あの女子が鼻歌で奏でていた子守歌と同じだ。
 でも、だからと言って、何と言って声を掛ける?
 しばし躊躇ってから、俺は顔を上げた。
 ええい、ままよ。

「都様」
 俺の声に、都はビクッとして振り返った。
「懐かしい歌にござりまするな」
 俺の顔を見て、都は少し怯えたように棗を握りしめた。
「申し遅れました。白雀と申します。里の母が、よくその歌を歌うておりました」
「ほう」
 都は表情を緩めた。一度棗に視線を落としてから、顔を上げる。
「母上は、御健勝か?」
「いえ、昨年身(まか)りました。日頃の行いの所為でありましょうか。因果なことに、死に目にも会えずじまいでございました。誠に、親不孝者にございます」
「気に……病まれますな。そのお気持ちで、きっと御母堂も満足でありましょうよ」
 穏やかな顔になった都は、すいとこちらに向き直った。
「真の親不孝とは、何も言わず、行方知れずとなることよ」
 今日の都は、まともに話が出来ていると感じた。
 なら、俺が話しても大丈夫か。

「実は……ここに来る際、商人の橇に乗せていただきました」
 急に話題が変わり、都はふと訝る顔になった。話が届いていると思った。
「夜中、峠で休んでおりますと、今の都様と同じ子守歌を歌われる御子女にお会いしたのです」
 都は神妙に俺を見詰めている。唾を飲んだ。
「その、御子女にこれを託されたのですが、……都様に覚えはござりましょうか」
 俺は、懐から桜貝の花簪を取り出した。
 それを見た都の顔から表情が消えた。
 茫然と腰を上げる。
 あれほど大事そうに掌に納めていた棗が、膝の上からコロリと落ちて転がった。

「………りえ………入江……」
 
 都は、ふらふらと立ち上がり、俺の方へ手を伸ばした。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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