夏椿の森 9

文字数 854文字

 紗羅の森での数日の潜伏中に、城下で探りを入れる手筈を整えた。
 阿比の黒衣に身を包み、笠を深く被る。これで『謳い』に見えないこともない。いきなり琵琶を奏でるのは無理だが、基本の『謳い』の振りは覚えた。

「傷かくしの包帯は両腕に巻いておれ。あー、顔の傷はもう一本書いておいて誤魔化すか」
 阿比はそう言うと、花の汁で俺の顔に真一文字の線を書いた。
「ついでに目隠しして(めしい)たふりもしておくのはどうだ?」
「……ちと、設定を盛りすぎではないか?」
 何やら楽し気な阿比に、俺は些か引き気味だ。
 ……んー、芝居の役者ではないのだがな。

「そも、俺と阿比殿との繋がりはあちらにバレてはおらぬのか?」
「バレるも何も、私は『謳い』だ。死人の出ない家などない。誰なりと繋がる」
「うーん……」
「逆を言えば、繋がっていたからどうだ、という話だ。まぁ、どちらかと言えば私は庶民担当だがな。名のある家のものは屋代を構える『謳い』を使う。貴殿の両親を送ったのは私ではないが、先の戦で私が従軍したのを知る者は、『もしや戦場で顔を見たか』くらいは憶測するであろうよ。ほれ、寒竹の杖でもついてヨボヨボした振りでもしておけ」
「いや、だから設定を増やすなと……」
 俺は押し付けられた杖と阿比を見比べた。
 ここにも(にお)みたいなヤツがいる。

 午後遅くに、荷車の群れに紛れて城下への木戸をくぐった。
 阿比が馴染みの店で門付をしている間に、それとなく通りを見て市中の様子を探る。
 普段、警邏をしておる花鶏(あとり)たちなど、国主殿の命に面食らっておるやもしれぬな。俺をとらえるのに一体どんな口実が作られたものやら。俺が、「国主殿の眷族の遠仁を喰ったから」なんて言えるわけもないしな。手っ取り早いところで反逆罪とかか? それとも俺が遠仁憑きだとでも吹かれたか? 

 おっと……。
 
 目の前を軽装騎馬隊が通りかかり、そのまま通り過ぎる。
 俺は笠の端を僅かに上げた。
 花鶏では……なかったな。
 ホッとして俯いたところで視界の外から声を掛けられた。

「そこな『謳い』。見かけぬ者であるな」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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