水上の蛍 4

文字数 1,028文字

 では、失礼、と立ち上がった烏衣(うい)の影が池の面に映った。
 と、目の端に白いものがチラリと見えた気がして、俺は池の方に(めん)を向けた。
 青鈍(あおにび)色の水面がゆるりと盛り上がる。俺は咄嗟に雎鳩(しょきゅう)の袖を引き背後に押し込めた。そばに控えていた鸞が、伸びあがり池を覗き込む。

()るの!」
 鸞が短く叫んだ。
(みずち)の類か!」

 異変に気付いて池の方に振り返った烏衣の背後でザバリと水面が盛り上がった。続いてドブンと音を立てて何かが潜り込む。
 白い胴がうねって沈んだ。
 確かに……デカい。
 それを認めた烏衣は、色を失ってその場に凍り付いた。

「烏衣様! ()くと()れへ!」
 俺の背後で雎鳩が叫んだが、固まった烏衣はその場を動けない。
 俺は舌打ちして烏衣の元へと馳せたが、その一歩前で水面から出た何かが烏衣の体を攫った。
「っ!」
 短い悲鳴ともに、あっと言う間に水中へ引きずり込まれる。
「あなや!」
 慌てて雎鳩も駆け寄ったが、白い胴がズルズルとのたうつばかリ。

 俺は安摩の面を外して晒の白衣を脱いだ。懐に修めていた合口を抜く。
「白雀! あんた、どうする気?」
「決まっておるわ。助ける」
「ええっ?」
 雎鳩は目を剥いた。
 そういう算段ではなかったのか? 
 どのみちコヤツは

ならぬ。

「鸞! コヤツ刃が立つと思うか?」
「んー、鱗ではなく腹からなら大丈夫かと。上から()が援護してやるぞ」
「……頼もしいな」
 水練に関しては流れが無ければ何とかなる。後は、この濁った水中で目が利くかどうか。
 まぁ、いざとなったら手当たり次第にブッ刺してくれる。
 俺はスッと息を整えると水面に躍り込んだ。
 秋口の水は冷たい。
 案の定視界は悪かったが目の前をのたうつ胴の鱗の向きで頭の方向は知れた。素早く手繰って行くうち鶸色の衣の裾が見えた。

 生きててくれよ。

 渾身の力で水を掻く。 
 衣の間から烏衣を掴む腕が見えた。
 その付け根を掴むと躊躇わず合口の刃を突き立てる。そのままゴリゴリと(こじ)って傷を広げてやると、鉤爪が緩んだ。
 赤黒い水煙が立つ。
 烏衣の体を抱えて一気に引きはがし、白い胴を蹴りとばした。

 一旦水面へ顔をだす。
 池の中ほどに顔が浮かび、遙か岸に不安げな顔の雎鳩が見えた。
 背後でまたザバリと白い胴が躍る。

 コイツに俺は見えているのか?

 とりあえず、ぐったりしている烏衣の体を抱えて岸へ向かって水を掻いた。

「白雀! 陽動作戦だぞ!」
 鸞が俺が行こうとしている反対方向に石を投げる。
 のたうつ胴が俺から遠ざかった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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