遠仁の憑坐 7

文字数 720文字

 掌の上で空の湯呑を(もてあそ)びながら阿比は淡々と語った。

(にお)が良い例だ。あの成りでどうにも目立つ存在であることは、よもや隠しようがないが、私がただ1度、鳰の元に来た遠仁(おに)退(しりぞ)けただけで『遠仁の憑坐(よりまし)』などという噂が立った。貴殿に直接かかわらなくとも遠見の印象だけで噂は独り歩きするものだ」

「ただの1度?」
 俺は驚きを隠すことができなかった。

 ということは、先のアレを入れてもたった2度ということだ。
「憑坐」というのは些か大袈裟に過ぎる物言いではないか。

 だが、俺がこの二十余年生きてきて1度も遠仁なぞにお目にかかったことがなかったことから考えると、ただの1度でも遠仁を寄せたことは充分な証左たり得るのか? 

「いずれにせよ。此度(こたび)の顛末は、『何も起きなかったこと』にしておくに越したことはない、と私も思うぞ」
 阿比はそう締めくくった。

 俺は、今一度、一回り痩せた自分の左腕を見た。
 
 (あか)い稲妻の軌跡を網の目のように纏った腕。
 注視を躊躇う無惨な様だ。
 それでも鳰は、毎日労わってくれた。
 いつか動くと信じているかのように、作り物の手で撫でさすり、指の一本一本まで慈しんでくれた。
 己ですら半ば諦めていたというのに……。

 動かぬ左腕(モノ)は捨て置けたであろうが、俺は

を無視できるか?

 俺は、左の拳を硬く握り込んだ。
「ああ……その通りかもな。……だが」
 
 顔を上げて、梟を、阿比を見る。
「鳰には、良い……であろう? 俺が、元の通り左腕が動かせるようになったことを大っぴらに出来ない理由とともに、明かしても良いよな? 毎日、俺の腕が動かぬモノとして労わってくれる鳰に知らぬふりをするのは……さすがに俺も苦しい」 

 梟と阿比は、互いに苦い表情(かお)をして顔を見合わせた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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